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総合年表一覧
- ~794年(飛鳥以前、飛鳥、奈良)
- 794年~1335年(平安、鎌倉)
- 1336年~1603年(南北朝、室町、安土桃山)
- 1603年~1716年(江戸(前期))
- 1717年~1836年(江戸(中期))
- 1837年~1867年(江戸(後期))
- 1868年~1893年(明治(前期))
- 1894年~1912年(明治(後期))
- 1912年~1926年(大正)
- 1926年~1937年(昭和(戦前前期))
- 1937年~1945年(昭和(戦前後期))
- 1945年~1956年(昭和(戦後前期))
- 1957年~1972年(昭和(戦後中期 その1))
- 1957年~1972年(昭和(戦後中期 その2))
- 1973年~1989年(昭和(戦後後期 その1))
- 1973年~1989年(昭和(戦後後期 その2))
- 1989年~(平成 その1)
- 1989年~(平成 その2)
1937年~1945年(昭和(戦前後期))
西暦 | 年号 | 地域 | |
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1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 千歳町火事、歌舞伎座等約35戸焼失 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 三方原に墜死した飛行将兵の慰霊碑建立 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 沢田寧没、86歳 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 防空法実施 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 遠州鉄工機械工業組合設立 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 岡部譲没、89歳 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 松菱百貨店開店 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 浜一中プール完成、日米水上競技大会開催 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 天野千代丸没、72歳 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 米津台場跡に殉職飛行将兵の慰霊碑建立 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 禁綿三法令公布 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 県居小学校六年河野芳子、第8回日本一健康優良児に表彰 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 県居翁研究会創立、加茂真淵翁遺品展覧会開催 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 聖隷保養園設置 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 中ノ町線廃止 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 県営浜名用排水幹線改良事業開始 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 馬込川改修 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 遠州織物の生産額、最高水準に達し、全盛時代が到来 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 高柳覚太郎没、71歳 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 遠州織物の生産額が最高額に達し全盛期 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 鈴木式織機㈱がオートバイエンジン試作に成功 |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 遠州織機㈱が陸軍にたのまれ弾丸加工はじめる |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 高柳健次郎がテレビ放送システムつくりあげる |
1937 | 昭和12 | 旧浜松 | 中村與資平が設計した静岡県庁本館完成 |
1937 | 昭和12 | 舞阪 | 舞阪町の全域が都市計画区域に指定される |
1937 | 昭和12 | 舞阪 | 北京郊外の廬溝橋で日中両軍が衝突、これを契機に日中全面戦争に入る |
1937 | 昭和12 | 舞阪 | 中ノ島に鰻供養の魚籃観音が建立される(昭和43年乙女園に移転) |
1937 | 昭和12 | 舞阪 | 日独伊防共協定調印、戦時色強まる |
1937 | 昭和12 | 雄踏 | 宇布見局電話交換業務が開始される |
1937 | 昭和12 | 雄踏 | 雄踏町消防後援会の寄附により、小学校にモーターサイレンが設置される |
1937 | 昭和12 | 水窪 | 秋葉自動車、二俣~水窪間全線運行開始 |
1937 | 昭和12 | 龍山 | 支那事変勃発出征兵多発 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 日本赤十字社静岡支部浜松診療所開所 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 国家総動員法公布 |
1938 | 昭和13 | 浜北 | 庄園のマツ天然記念物に指定(文部省) |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 豪雨、天竜川決壊 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 第8回市議会議員選挙 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 金原疏水財団、金原治山治水財団と改称 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 小山正著「加茂真淵伝」発行 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 遠州病院開院 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 静岡県産業報告会結成 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 浜名用排水組合結成されたが、金原排水組合と改称 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 浜松利町五社神社修理竣工 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 大賀辰太郎没、64歳 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 「真淵翁研究所」(遠州国学研究誌)発刊 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 「浜松城の展覧会」開催 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 浜松防空監視嗩、浜松警察署内に設置 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 市内風致地区増設 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 松本杢次没、70歳 |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 馬込橋、コンクリート橋となる |
1938 | 昭和13 | 旧浜松 | 輸出用以外の綿布製造禁止 |
1938 | 昭和13 | 広域 | 遠州電気鉄道㈱、浜松~二俣間の乗合バス運行中止 |
1938 | 昭和13 | 舞阪 | 飛島組が乙女園に豪華なホテルを完成させた。外観は宇治の平等院を模してあるが、内部はすべて洋風で、皇族や政治家などの著名人や外国人がよく利用する |
1938 | 昭和13 | 舞阪 | 国家総動員法公布 |
1938 | 昭和13 | 舞阪 | 支那事変で徴用された舞阪の漁船(一心丸、海積丸)が揚子江を遡り、漢口付近で任務につく |
1938 | 昭和13 | 雄踏 | 小学校東運動場に土俵を新設する |
1938 | 昭和13 | 水窪 | 山住区が河内浦、門桁に分かれ、両区に区長を置く |
1938 | 昭和13 | 龍山 | 瀬尻橋(瀬尻~下平山)完成 |
1939 | 昭和14 | 舞阪 | 旧青年学校が義務制となる |
1939 | 昭和14 | 浜北 | 貴布祢・宮口間の軌道、西遠軌道株式会社解散(大正13年6月開通) |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 渡辺素夫没、76歳 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 白脇村及び蒲村、浜松市に編入 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 国民徴用令公布 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 伊藤蒲邨没、77歳 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 静岡県浜松保健所開所 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 第1回興亜奉公日 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 物価・賃金・運賃等の統制令公布 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 浜松地方旱魃 |
1939 | 昭和14 | 舞阪 | 物価統制令公布 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 野口八幡宮境内「雲立楠」県の天然記念物として指定される |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 鈴木式織機㈱が浜名郡可美村高塚に新工場 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 三方原合戦の古戦場、犀ケ崖が県指定史跡となる |
1939 | 昭和14 | 雄踏 | 消防組を改組し、雄踏町警防団が誕生する(本部と4分団で編成) |
1939 | 昭和14 | 水窪 | 水窪警防団設置 |
1939 | 昭和14 | 龍山 | 瀬尻で大火災 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 西遠産業社、笠井に創立 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 輸出向綿布専門工場指定 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | 宮口線廃止 |
1939 | 昭和14 | 旧浜松 | この年から市内男子中等学校生徒、市営運動場等整地に出動 |
1940 | 昭和15 | 浜北 | 天竜荘できる |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 原田浜人、俳句誌「みづうみ」発刊 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 浜松市総代会廃止 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 米穀配給統制法公布 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 浜松市警防団結成 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 鈴木黄鶴遺墨展開催 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 鷹野つぎ「四季と子供」発刊 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 本田庄太郎画展開催 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 堀江耕造没、57歳 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 国鉄二俣線開通、都田駅営業開始 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 奢侈品等製造販売制限規公布 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 大政翼賛会開会 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 紀元2600年記念式挙行 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 国民服令公布 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 浜松市、町内会を設置(隣組制度成る) |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 新歌舞伎座開場 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 「都田村郷土誌」刊行 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 浜名郡大久保守小学校、皇民錬成教育を提唱 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | この年から学校報国隊結成 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 翌16年にかけて浜松師範学校生徒、勤労奉仕隊として渡満 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 広告燈・ネオンサイン・パーマネント禁止令 |
1940 | 昭和15 | 広域 | 国鉄二俣線、掛川~新所原間が開通し全線開通(現在の天竜浜名湖鉄道) |
1940 | 昭和15 | 広域 | 遠鉄西鹿島駅と二俣線にし鹿島駅を共同駅として使用 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 浜松魚市場が統合され浜松魚市場㈱となる |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 市営陸上競技場が上島に完成し市民体育大会開催 |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | 浅野機械工業浜松工場、浅野重工業㈱浜松工場になる |
1940 | 昭和15 | 旧浜松 | |
1940 | 昭和15 | 舞阪 | 浜表船揚場埋立て編入(5,512㎡) |
1940 | 昭和15 | 舞阪 | 浜表漁業組合出願分の埋立て編入(5,579㎡) |
1940 | 昭和15 | 舞阪 | 日独伊三国軍事同盟調印 |
1940 | 昭和15 | 舞阪 | 第5回国勢調査、世帯数972、人口5,631 |
1940 | 昭和15 | 舞阪 | 舞阪魚株式会社の卸売市場開設権、設備等一切が統制国策に呼応(舞阪町漁業協同組合に譲渡される) |
1940 | 昭和15 | 雄踏 | 第5回国勢調査が実施される(雄踏町の人口は8,431人) |
1940 | 昭和15 | 水窪 | 林野局、林鉄工事着工(小畑~戸中山) |
1940 | 昭和15 | 龍山 | 下平山で大火災 |
1941 | 昭和16 | 浜北 | 赤佐郵便局できる |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 静岡県織物工業組合結成 |
1941 | 昭和16 | 浜北 | 豪雨、橋りょう道路損壊多し |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 国民学校令公布、小学校を国民学校と改称 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 板屋町火事、47戸焼失 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 白米配給制強化(大人一人1日330g) |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 大木随処没、70歳 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 市制30周年記念式典を浜松市公会堂で開催 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 豪雨、新川・馬込川氾濫、浸水家屋5,500戸 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 浜松市役所特別防衛団結成 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 米英に対し宣戦布告(太平洋戦争) |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 浜松防空監視隊本部設定 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 綿糸配給統制規則強化 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 浜松高等家政女学校、浜松信愛女学校と改称 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 遠州文学報国会結成、「遠州文学」(文芸誌)発刊 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 遠州織機㈱、遠州機械㈱と社名変更 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 浜松信用組合設立 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 浜松出身作家、鷹野つぎ「四季と子供」発表 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 浜松事件発生、1年間に女性9人殺害され6人が重軽傷を負わされる事件。翌年犯人逮捕 |
1941 | 昭和16 | 旧浜松 | 高橋菊松が国産センタレス研削盤を開発 |
1941 | 昭和16 | 舞阪 | 学制改革により小学校は舞阪国民学校に改称、児童数873人 |
1941 | 昭和16 | 舞阪 | 生活必需品物資統制令公布、米穀配給帳制を実施 |
1941 | 昭和16 | 舞阪 | 舞阪築港のため安芸博士視察する |
1941 | 昭和16 | 雄踏 | 小学校を雄踏町国民学校に改称する |
1941 | 昭和16 | 雄踏 | 日本水上競技連盟から、小学校が水泳の最優秀校として表彰される |
1941 | 昭和16 | 雄踏 | 小学校の校庭にも、防空壕が作られる |
1941 | 昭和16 | 水窪 | 水窪尋常小学校が水窪町立水窪国民学校となる |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 第1回大詺奉載日 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 山下青厓没、69歳 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 衣料切符制実施 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 浜松翼賛壮年団結成 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 衆議院議員総選挙 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 浜松翼賛文化協会結成 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 中村みつ没、69歳 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 市内各学校合同第7回青少年体育大会開催 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 西遠地方事務所、浜松に開所 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 高等女学校の英語科を随意科目とする |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 浜松市議会議員選挙 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 田町大鳥居、金属回収のため撤去 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 浜松市長に藤岡兵一就任 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 静岡県食糧営団設立 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 「浜松市史」再編開始、(戦災により解散) |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 内田六郎著「硝子絵」発刊 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 企業整備令公布 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 忠霊塔、陸軍墓地内に建設 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | この年から翌18年にかけて満州に浜松村建設開拓団入植 |
1942 | 昭和17 | 広域 | 浜名湖のアサリで中毒発生、112名死亡 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 中島飛行機浜松製作所設置決定翌年宮竹に工場建設 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 浜松地方の主要工場すべてが軍需工場に指定、日本楽器本社工場は海軍監理工場となりプロペラなど航空機関係部品を製造。鈴木式織機、遠州織機、河合楽器などでは砲弾や兵器部品生産 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 聖隷三方原病院開院 |
1942 | 昭和17 | 旧浜松 | 庄田鉄工㈱が10枚刀溝突カッターを開発 |
1942 | 昭和17 | 舞阪 | 新居町でアサリ中毒事件発生、舞阪町でも犠牲者でる |
1942 | 昭和17 | 舞阪 | これまで新居町地籍であった弁天島(丸文より西)3,285の1ほか98筆(43,438㎡)舞阪町に編入 |
1942 | 昭和17 | 舞阪 | 浜表、灯柱の北一帯を埋立て編入(6,323㎡) |
1942 | 昭和17 | 雄踏 | 息神社の東に登記所庁舎が新築移転される(平成14年に解体) |
1942 | 昭和17 | 水窪 | 林野局林鉄工事竣工(小畑~戸中山) |
1942 | 昭和17 | 水窪 | 戸中山国有林へ空軍機墜落、インド軍人等死亡 |
1942 | 昭和17 | 龍山 | 龍山村に空襲警報発令 |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 山下五三郎没、74歳 |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 浜松市青少年武道大会開催 |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 鷹野つぎ没、54歳 |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 師範教育令改正、浜松師範学校、静岡第二師範学校と改称 |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 25歳未満未婚女子動員決定、挺身隊と称す |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 静岡県商工経済会浜松支部(浜松商工会議所解散)創立 |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 中部瓦斯株式会社浜松支社(浜松瓦斯と豊橋瓦斯合併)発足 |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 女子防空監視隊員をおく |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 遠州鉄道株式会社改称創立(遠鉄) |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 真淵翁歌碑、県居神社境内に建碑 |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 浜松商工会議所、静岡県商工経済会浜松支部となる |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 一県一行主義により、県内諸銀行合併 |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 遠州銀行と静岡三十五銀行が合併し静岡銀行発足 |
1943 | 昭和18 | 旧浜松 | 国鉄浜松工場でD-52型蒸気機関車完成 |
1943 | 昭和18 | 舞阪 | 浜名湖でカキ中毒発生、患者18人、内6人が死亡 |
1943 | 昭和18 | 舞阪 | 稲荷山地先から弁天大橋を通る国道一号線が開通、旧国道(往環道路)は町道に移管 |
1943 | 昭和18 | 舞阪 | 戦時体制により浜名湖東岸地区の造船関係者が統合され舞阪造船が設立される |
1943 | 昭和18 | 舞阪 | 徴兵年齢が一年引き下げられ19歳となる |
1943 | 昭和18 | 雄踏 | 喜楽座が戦争で一時休場となる |
1943 | 昭和18 | 水窪 | 水窪町森林組合が神原へ事務所を建設 |
1943 | 昭和18 | 龍山 | 秋葉山大火、本殿など焼失 |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 市内の商業学校、浜松第二商業学校を残し、すべて工業学校に転換 |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 学校工場開場 |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 静岡県織物工業統制組合発足 |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 女子埏身勤労令公布 |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 浜松市立北部青年学校創設 |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 加茂真淵翁遺墨展覧会開催 |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 浜松重爆撃部隊出撃 |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 東南海地震 |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 浜松最初の空襲を受ける |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 県織物工業統制組合結成 |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 笠井線廃止 |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 鈴木鶴仙没、70歳 |
1944 | 昭和19 | 広域 | 防空壕作られ始める |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 浜松高等工業学校が浜松工業専門学校と改められる |
1944 | 昭和19 | 旧浜松 | 県下中学校生徒に対し「学校報告隊出動令」 |
1944 | 昭和19 | 舞阪 | 漁協の名称を変更し、舞阪町漁業会となる |
1944 | 昭和19 | 舞阪 | B29東京初空襲 |
1944 | 昭和19 | 舞阪 | 県西部に強震あり(東南海地震、震度5)しかし戦争下のため報道されず、弁天橋の橋脚が不等沈下し、橋が波状となる |
1944 | 昭和19 | 舞阪 | 県の指導で舞阪の表浜に掛水式塩田がつくられ、舞阪町、北浜村、神久呂村が合同で製塩を始める |
1944 | 昭和19 | 雄踏 | 4代目町長に石津谷治賀一氏が就任する |
1944 | 昭和19 | 雄踏 | たばこが隣組配給となる(男子1日6本) |
1944 | 昭和19 | 水窪 | 集団疎開により学童増加 |
1944 | 昭和19 | 水窪 | 東南海地震発生(水小プールの水こぼれる) |
1944 | 昭和19 | 龍山 | 白倉分教場全焼 |
1944 | 昭和19 | 龍山 | 省営バス天竜線、西川まで開通 |
1944 | 昭和19 | 龍山 | 東南海地震発生、村内の被害は少ない |
1945 | 昭和20 | 浜北 | 浜名用水開通 |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 浜松空襲 |
1945 | 昭和20 | 浜北 | 陸軍護古部隊市内に駐留 |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 浜松空襲 |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 決戦教育措置要綱により、一年間授業停止 |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 浜松空襲 |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 浜松重爆撃部隊の特攻隊、沖縄出撃 |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 浜松大空襲、中心部灰燼となる |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 国民義勇兵役法公布、浜松市義勇戦闘隊編成、本部を浜松市役所に設置 |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 三方原飛行基地有志軍人、終戦に反対し、決起、すぐ解散 |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 長谷川鉄雄没、63歳 |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 中島飛行機浜松製作所が国管理となる |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 日本楽器がバラック住宅を作り市民の窮状を救う |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | 遠州機械㈱が遠州織機に社名復活 |
1945 | 昭和20 | 旧浜松 | |
1945 | 昭和20 | 広域 | 遠州鉄道、一部路線でバス営業運転再開 |
1945 | 昭和20 | 舞阪 | B24、一機が漁船を襲撃、死者4名、重傷5名 |
1945 | 昭和20 | 舞阪 | 浜松市B29の大空襲を受けて市の中心部すべて焦土と化す、死者1157人 |
1945 | 昭和20 | 舞阪 | B29、一機が舞阪監視哨北70m付近に爆弾4個を投下、死者2名、重傷1名、軽傷1名、非住家全壊7、家半壊10 |
1945 | 昭和20 | 舞阪 | 夜半遠州灘洋上30ひろぐらいの所を米軍艦7隻が西から東へ移動しながら猛烈な艦砲射撃を行う |
1945 | 昭和20 | 舞阪 | ポツダム宣言を受諾(無条件降伏)して終戦、満州事変から太平洋戦争にかけての舞阪町での戦死者は226人 |
1945 | 昭和20 | 舞阪 | 米軍、連合軍の捕虜収容のため表浜に上陸、警防団員が上陸用舟艇に乗り新居町駅まで湖内の水先案内を務める。また上陸した米軍が舞阪町内を巡回する。新居町駅より捕虜を運んだ |
1945 | 昭和20 | 舞阪 | 自治青年団結成式、再び活動を開始する |
1945 | 昭和20 | 舞阪 | 米機動部隊による浜松地区襲撃により、舞阪駅前の日蓄コロンビアが空襲を受け、警防団出動途中に艦載機の機銃掃射を受ける |
1945 | 昭和20 | 雄踏 | 広島・長崎に原子爆弾が投下、敗戦 |
1945 | 昭和20 | 雄踏 | 雄踏町の人口が、1万人を超える |
1945 | 昭和20 | 雄踏 | 5代目町長に中村仲藏氏が就任 |
1945 | 昭和20 | 水窪 | 水窪町青年団結成 |
1945 | 昭和20 | 龍山 | 瀬尻山林へ爆弾投下(9発) |
1945 | 昭和20 | 龍山 | 第二次世界大戦終戦 |