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- 1989年~(平成 その1)
- 1989年~(平成 その2)
1837年~1867年(江戸(後期))
西暦 | 年号 | 地域 | |
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1837 | 天保8 | 旧浜松 | 服部菅雄没する |
1837 | 天保8 | 旧浜松 | 米津海岸で五穀豊饒の大祈祷禱会を行う |
1837 | 天保8 | 旧浜松 | 水野藩、農業人口確保のため潰門の調査をする |
1837 | 天保8 | 旧浜松 | 穀物の他領への販売を重ねて禁止する |
1837 | 天保8 | 旧浜松 | 酒の密造を禁止および酒造石数を減じる |
1837 | 天保8 | 旧浜松 | この年、前年にまさる凶作で米価暴騰する |
1838 | 天保9 | 旧浜松 | 忠邦、西丸炎上しその再建の功によって遠江国蒲生・坂田・浅井の3郡中において1万石加封される |
1838 | 天保9 | 旧浜松 | 囲穀主法令を厳達する |
1838 | 天保9 | 旧浜松 | 木村竜江生まれる |
1839 | 天保10 | 浜北 | 藤川春竜生まれる |
1839 | 天保10 | 旧浜松 | 忠邦、1万石加増され、表高7万石の領地半物を交付される |
1839 | 天保10 | 旧浜松 | 県居霊社の上棟遷座式をおこなう |
1839 | 天保10 | 旧浜松 | 領内各所に出張役所を設置する |
1839 | 天保10 | 旧浜松 | 白砂糖の製造を禁止する |
1839 | 天保10 | 旧浜松 | 水野藩楮役人、蜆塚の貝殻を名残新田へ肥料として運ぶ |
1839 | 天保10 | 旧浜松 | 楮の栽培と製紙をはじめる、藩令により権現谷村で紙漉きをはじめる |
1839 | 天保10 | 旧浜松 | このころより洋式小銃が使用される |
1839 | 天保10 | 旧浜松 | 浜松藩事業として権現谷村(富塚)で紙すき開始 |
1840 | 天保11 | 旧浜松 | 大念仏・小念仏・初凧の停止令を公布し、若者の他村符合を禁止する |
1840 | 天保11 | 旧浜松 | 笠井村、火災 |
1840 | 天保11 | 旧浜松 | 有玉下村に義倉初見 |
1840 | 天保11 | 旧浜松 | 水野藩、貧民御救令を公布する |
1841 | 天保12 | 旧浜松 | 各代官所勧農掛へ増石代を下令する |
1841 | 天保12 | 旧浜松 | 天保改革はじまる |
1841 | 天保12 | 旧浜松 | 風流九家会が催される |
1841 | 天保12 | 旧浜松 | 忠邦、兵学者小野寺慵斎を浜松に招聘し、物頭以上の者に兵学を学ばせる |
1841 | 天保12 | 旧浜松 | 水野藩、大沢氏に藻草買取方を交渉し、大沢領民の反対をうける |
1842 | 天保13 | 旧浜松 | 県居霊社竟宴歌会を浜松梅谷本陣宅でおこなう |
1842 | 天保13 | 旧浜松 | 幕府、外国船打払令を緩和し、江戸湾の防備を強化する |
1842 | 天保13 | 旧浜松 | 西遠地方大雪 |
1842 | 天保13 | 旧浜松 | 種々の布達を出す、3絹布着用・初凧揚げの奢侈を禁止する、4野菜の初物売買を禁止する、5諸事節約令の公布、旅籠屋の飯売女を取り締まる、6出家・山伏等の町住居を禁止する、7出版取り締まり令を発布する、8石灯籠・石手水鉢・庭石等の奢侈を禁止する、江戸京大坂の歌舞伎役者の他国興行を禁止する |
1842 | 天保13 | 旧浜松 | 水野藩、大蔵永常を招聘する |
1842 | 天保13 | 旧浜松 | この年水野藩、藩校経誼館が高町にある |
1842 | 天保13 | 浜北 | 旗本の大谷近藤氏が内野へ陣屋を移す |
1843 | 天保14 | 旧浜松 | 在方の者の都市生活を禁止する |
1843 | 天保14 | 旧浜松 | 人別改の令を公布する |
1843 | 天保14 | 旧浜松 | 町人の武術稽古を禁止する |
1843 | 天保14 | 旧浜松 | 忠邦、老中職を罷免される |
1843 | 天保14 | 旧浜松 | 不当相場防止の令を公布する |
1843 | 天保14 | 旧浜松 | 浜松周辺寺院の新四国八十八か所まいりが行われる |
1843 | 天保14 | 旧浜松 | 水野藩、領内笠井市の閉鎖を指令し、村民の反対にあい撤回する |
1843 | 天保14 | 旧浜松 | 浜松宿戸数1,622軒、人口5,964人 |
1843 | 天保14 | 旧浜松 | 三郎五郎新田、戸数10戸・人口67人・田1反5畝・畑7町1反5畝23歩 |
1843 | 天保14 | 旧浜松 | このころ女下駄江戸から伝わる |
1844 | 弘化1 | 旧浜松 | 水野藩、軍事改革の実施に踏みきる |
1844 | 弘化1 | 旧浜松 | 水野藩、農兵隊を徴募を始める |
1844 | 弘化1 | 旧浜松 | 有玉村高林伊兵衛、農兵組頭に任ぜられる |
1844 | 弘化1 | 旧浜松 | 神主隊の編成をする |
1844 | 弘化1 | 旧浜松 | 忠邦、老中主座に再任する |
1844 | 弘化1 | 旧浜松 | 水野藩、遠州灘海岸の領内漁船の調査をする |
1844 | 弘化1 | 旧浜松 | 水野藩、「海防御備組書」を完成する |
1844 | 弘化1 | 旧浜松 | 大蔵永常「広益国産考」を完成する |
1845 | 弘化2 | 浜北 | 横田甘仙ら不動寺に芭蕉の句碑を建つ |
1845 | 弘化2 | 旧浜松 | 忠邦、老中を再辞職する |
1845 | 弘化2 | 旧浜松 | 竜禅寺村糀屋衆に対し、金指町利吉が詫びる |
1845 | 弘化2 | 旧浜松 | 水野藩「自国警衛組書」を完成する |
1845 | 弘化2 | 旧浜松 | 忠邦、2万石減封、隠居のうえ蟄居を命ぜられる |
1845 | 弘化2 | 旧浜松 | 塩町商人と二俣村他41ヵ村との間に紛争がおきる |
1845 | 弘化2 | 旧浜松 | 蘭学者村上代三郎、硝石の製造を命ぜられる |
1845 | 弘化2 | 旧浜松 | 岡村黙之助、硝石の製造始める |
1845 | 弘化2 | 旧浜松 | 水野忠精、忠邦を継ぎ浜松城主となる、ついで出羽山形へ転封を命じられる |
1845 | 弘化2 | 旧浜松 | 井上正春、上野館林より入府、浜松城主となる |
1846 | 弘化3 | 旧浜松 | 有玉下村をはじめに領内に一揆おこる |
1846 | 弘化3 | 旧浜松 | 井上藩、米津浜へ警固の人数を派遣する |
1846 | 弘化3 | 旧浜松 | 一揆が再燃する |
1846 | 弘化3 | 旧浜松 | 井上正春の得替祝儀があり、領内村々庄屋城中へ召し出される |
1846 | 弘化3 | 旧浜松 | 高林方朗没する |
1846 | 弘化3 | 旧浜松 | 藩校、克明館設立する |
1846 | 弘化3 | 旧浜松 | 名倉予何人、浜松藩校克明館の教授となる |
1846 | 弘化3 | 旧浜松 | 岡村新三郎・貞次郎、大坂緒方塾で蘭語を学ぶ |
1846 | 弘化3 | 旧浜松 | 水野氏時代の経誼館(けいぎかん)を配して井上藩が新設 |
1847 | 弘化4 | 旧浜松 | 井上正直の家督相続御祝儀に、諸職人頭11人登城する |
1847 | 弘化4 | 旧浜松 | 岡村黙之助「海防私考」を著わす |
1847 | 弘化4 | 旧浜松 | 井上藩、大念仏を停止し、太神楽を規制する、9若者組節句・吉凶についての著侈を禁止する、11博奕・買物・遊興自粛を申し合わす |
1847 | 弘化4 | 旧浜松 | 紺屋町から出火、肴町まで延焼する |
1847 | 弘化4 | 旧浜松 | 井上正直、正春を継ぎ浜松城主となる |
1847 | 弘化4 | 旧浜松 | 秋作不作 |
1847 | 弘化4 | 旧浜松 | 浜松宿と助郷村との間に紛争おきる |
1847 | 弘化4 | 旧浜松 | 下石田の神谷与平治、報徳社を結成する |
1847 | 弘化4 | 旧浜松 | このころ入野村方面に糸引屋が出来る |
1848 | 嘉永1 | 旧浜松 | 井上藩、若者組取潰し連判状提出を命令する |
1848 | 嘉永1 | 旧浜松 | 旱魃、有玉方面木綿作皆無同然となる |
1848 | 嘉永1 | 旧浜松 | 井上藩、重ねて凧揚げを規制する |
1848 | 嘉永1 | 旧浜松 | 現安新町の本坂道に道標立つ |
1849 | 嘉永2 | 旧浜松 | 村尾元融「続日本紀考証」12巻を脱稿する |
1849 | 嘉永2 | 旧浜松 | 井上藩、華美の大凧を禁止する |
1849 | 嘉永2 | 旧浜松 | 井上藩、富士講取締りのための触書を出す |
1849 | 嘉永2 | 旧浜松 | 画家三宅鴨渓「遠江名勝図」を刊行する |
1849 | 嘉永2 | 旧浜松 | 笠井町の下組衆、市日を規制するよう歎願する |
1849 | 嘉永2 | 旧浜松 | 岡村義昌、西洋兵学砲術を修得するため長崎方面へ遊学する |
1849 | 嘉永2 | 旧浜松 | この年から文久3年までの15年間、浜松宿の余荷勤村を指定する |
1850 | 嘉永3 | 旧浜松 | 天竜川、富田・常光・末鴨村等で破堤し、流家溺死等の被害が多い |
1850 | 嘉永3 | 旧浜松 | 天竜川再び氾濫、食糧不足し、富田村から下石田村の間仮渡船で通行する |
1850 | 嘉永3 | 旧浜松 | 琉球人使節、浜松宿で死去する |
1850 | 嘉永3 | 旧浜松 | 浜名湖畔寺院の新四国八十八か所まいりが行われる |
1850 | 嘉永3 | 旧浜松 | 井上藩、重ねて領内凧揚げを規制する |
1851 | 嘉永4 | 旧浜松 | 井上藩、金井儀助・中山平助らの硝石の土を調査させる |
1851 | 嘉永4 | 旧浜松 | 賀古公斎、江戸への途次浜松に足をとどめ、この地の人となる |
1851 | 嘉永4 | 旧浜松 | 浜松宿の代助郷村を、嘉永4年から文久3年までの13年間指定する |
1851 | 嘉永4 | 旧浜松 | 竜禅寺村糀屋衆と篠原村ほか3ヵ村との間に紛争がおきる |
1851 | 嘉永4 | 広域 | ヤマハ創業者山葉寅楠が和歌山県に誕生 |
1852 | 嘉永5 | 旧浜松 | 井上藩、村八分・徒党を禁止する |
1852 | 嘉永5 | 旧浜松 | 村尾元融江戸で没する |
1852 | 嘉永5 | 旧浜松 | 竹村広蔭「変化抄」2冊を草する |
1852 | 嘉永5 | 旧浜松 | 井上藩、領内凧揚げを規制する |
1852 | 嘉永5 | 旧浜松 | 浜松田町に秋葉大権現の大鳥居が建てられる |
1852 | 嘉永5 | 旧浜松 | 渡辺謙堂(けんどう)八色すり木版絵図「遠江小図」板行 |
1853 | 嘉永6 | 旧浜松 | 入野川より明神野村まで水はけ用水路が作られる |
1853 | 嘉永6 | 旧浜松 | 井上藩、木綿以外の着用を禁止する |
1853 | 嘉永6 | 旧浜松 | 幕府、諸藩に砲台築造を命じる |
1853 | 嘉永6 | 旧浜松 | 井上藩、農民に鎌を下賜する |
1853 | 嘉永6 | 旧浜松 | 井上藩、浜松周辺の村々に海岸警備のための備場築造を命じる |
1853 | 嘉永年間 | 旧浜松 | 入野村・志都呂村・冨塚村、舞阪湊から藍を仕入れる |
1853 | 嘉永年間 | 旧浜松 | 神中嶋村小山みい女、織屋をいとなみ、子女に教える |
1853 | 嘉永6 | 広域 | スツポン養殖の服部倉治郎が東京に誕生 |
1854 | 安政1 | 旧浜松 | 外国船、浜松沖に出現する |
1854 | 安政1 | 旧浜松 | 井上藩、村々に対し5か年倹約を議定する、三村八分・徒党を禁じ、凧は3尺4角とし、農民の奢侈を禁止する |
1854 | 安政1 | 旧浜松 | 神楽・子唄・手躍・物真似を質素にし他村への見舞を禁止する |
1854 | 安政1 | 旧浜松 | 東海地方大地震、浜松城被害をうける、入野村の倒壊家屋32戸に達する |
1854 | 安政1 | 旧浜松 | 薩摩船の荷、庄内湖岸に漂着、村民罰せられる |
1854 | 安政1 | 旧浜松 | 井上藩、藩政の改革を行う |
1854 | 安政1 | 旧浜松 | 足立双松、この年浜松に帰り、医業のかたわら子弟を教育する |
1854 | 安政1 | 旧浜松 | 「浜松城絵図」作成 |
1854 | 安政1 | 浜北 | 秋葉の鳥居、大地震により倒壊 |
1855 | 安政2 | 旧浜松 | 幕府役人、堤沿い地域の震災見分をする |
1855 | 安政2 | 旧浜松 | 幕府、毀鐘鋳砲令を布告する |
1855 | 安政2 | 旧浜松 | 大風雨のため倒潰家屋が出る、庄内地方高潮の害をうける |
1855 | 安政2 | 旧浜松 | 地震、浜松城および浜松町内も被害、米津村の倒壊家屋27戸、白羽村・中田嶋方面では地面が亀裂、泥水が噴出する |
1855 | 安政2 | 旧浜松 | 岡村黙之助、藩に植物仕法などの建白書を提出する |
1855 | 安政2 | 旧浜松 | 農兵隊を募集する |
1855 | 安政2 | 旧浜松 | 井上藩、安政元年の大地震の被害者に救済の米を配る |
1855 | 安政2 | 旧浜松 | 気賀下村漁民、鳥浦を行い、村櫛村鳥浦衆に詫びる |
1855 | 安政2 | 旧浜松 | 宇布見・篠原・坪井・馬郡・舞阪の緒村、藻草の売買は組合を通じて行う旨、誓約する |
1855 | 安政2 | 旧浜松 | 岡村義理(よしさと)和地の原野を開発、四つ池構築 |
1855 | 安政2 | 旧浜松 | 染物革命、池谷七蔵、現大工町に誕生 |
1856 | 安政3 | 旧浜松 | 米津浜海岸に砲台の主要部分完成する |
1856 | 安政3 | 旧浜松 | 井上藩、藩札を発行する |
1856 | 安政3 | 浜北 | 金比羅神社の神楽がはじまる |
1857 | 安政4 | 旧浜松 | 井上藩、僧侶・神主らに植物仕法を命じ、櫨を植栽させる |
1857 | 安政4 | 旧浜松 | 藩役人、櫨の根付を見分する |
1857 | 安政4 | 旧浜松 | 神主弓隊、鉄砲訓練を開始する |
1857 | 安政4 | 旧浜松 | 画家伊藤煙坰没する |
1857 | 安政4 | 旧浜松 | 祝田村ほかの4ヵ村、下都田村と都田川の河水分配について争う |
1857 | 安政4 | 旧浜松 | 竜禅寺村糀屋衆と中瀬村との間に紛争がおきる |
1857 | 安政4 | 旧浜松 | 竜水、碧厳録の提唱をする |
1858 | 安政5 | 浜北 | 山下青厓生まれる |
1858 | 安政5 | 旧浜松 | 猪・鹿狩りが催される |
1858 | 安政5 | 旧浜松 | 遠州地方大雨 |
1859 | 安政6 | 旧浜松 | 有玉下村の農民、減免の一揆おこす、(翌月一揆の代表者処罰される) |
1859 | 安政6 | 旧浜松 | 日本点字の創始者石川倉次、名残御組町に生まれる |
1859 | 安政6 | 旧浜松 | 竜禅寺村糀屋衆が糀製造の由緒書を提出する |
1859 | 安政6 | 旧浜松 | 竜禅寺村糀屋衆と白羽村ほか5ヵ村との間に紛争がおきる |
1859 | 安政6 | 旧浜松 | この年刊行の「築山庭造伝」に鴨江寺の庭園が記載される |
1859 | 安政年間 | 旧浜松 | 木俣くら女により木舟村方面に十反引きが普及するという |
1860 | 万延1 | 旧浜松 | 天竜川、八幡村ほか各地で破堤、浜松城下に濁流が及び池田村から植松村まで仮渡船となる |
1860 | 万延1 | 旧浜松 | 分器稲荷へ氏子田町、石灯籠を献納する |
1860 | 万延1 | 旧浜松 | 久保寿軒没する |
1860 | 万延1 | 旧浜松 | 村櫛村、酒の専売を定める |
1860 | 万延1 | 旧浜松 | 西嶋村三郎右衛門、村内御鷹山御宿部屋普請を願い出る |
1861 | 文久1 | 旧浜松 | 浜松宿の助郷村のうち、困窮せる49ヵ村の代理として、代助郷村を指定する |
1862 | 文久2 | 旧浜松 | 井上藩、領分村々へ藩資金の調達を依頼する |
1862 | 文久2 | 旧浜松 | 天竜川、白鳥村で破堤する |
1862 | 文久2 | 旧浜松 | 井上正直、老中に昇進する |
1862 | 文久2 | 旧浜松 | 報徳社の万人講が行われる |
1863 | 文久3 | 旧浜松 | 将軍家茂、浜松に泊まる、大沢領の船舶徴発をうける |
1863 | 文久3 | 旧浜松 | 俳人遠藤蒼山、招きに応じて安間木潤宅に逗留する |
1863 | 文久3 | 旧浜松 | 日本形染創業者宮本甚七が今の和地町に誕生 |
1864 | 元治1 | 旧浜松 | 正直、京都で家茂と会見する |
1864 | 元治1 | 旧浜松 | 凧揚げについて、伝馬・大工両町間に紛争起り、町方役人宛に示談方の歎願いを出す |
1864 | 元治1 | 旧浜松 | 安間村久平、笠井村・下石田村の有志とともに、横浜に貿易商をはじめる |
1864 | 元治1 | 旧浜松 | 幕府、長州藩征討を諸侯に命令する |
1864 | 元治1 | 旧浜松 | 仕法掛、藩財政の建直しに協力する |
1864 | 元治1 | 旧浜松 | 天狗党にそなえ、浜松藩兵三ヶ日方面に出動する |
1864 | 元治1 | 旧浜松 | 仕法掛小栗らによって、仕法金利子勘定帳が作成される |
1864 | 元治1 | 旧浜松 | 木村竜江没する |
1864 | 元治1 | 広域 | 金原明善横浜に貿易店「遠江屋」開業 |
1865 | 慶応1 | 旧浜松 | 伊場岡部次郎左衛門家によって月並歌会開催される |
1865 | 慶応1 | 旧浜松 | 新川運の開堀を開始する |
1865 | 慶応1 | 旧浜松 | 井上藩、農兵隊の設置を命令する |
1865 | 慶応1 | 旧浜松 | 井上藩、農民救助のため畑方御手当米を下賜する |
1865 | 慶応1 | 旧浜松 | 蒼山、契史とともに俳書「越の雪」を著わす |
1865 | 慶応1 | 旧浜松 | 私塾吾憂社、下堀村に開設される |
1866 | 慶応2 | 旧浜松 | 俳人蒼山「ひくまののにき」を著わす |
1866 | 慶応2 | 旧浜松 | 小池村はかの4ヵ村、市野村と用水について争う |
1867 | 慶応3 | 旧浜松 | 浜松・浜松北方の村々にええじゃないか起る |
1867 | 慶応3 | 旧浜松 | 朝廷、王政復古を宣言する |
1867 | 慶応3 | 旧浜松 | 篠原村民、抜荷の疑をうけ、訴訟をおこす |
1867 | 慶応3 | 広域 | 自動織機発明者、豊田佐吉現湖西市に誕生 |
1867 | 慶応3 | 浜北 | 天竜川、大洪水 |