天竜浜名湖鉄道てんりゅうはまなこてつどう
郵便番号 | 431-3311 |
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所在地 | 浜松市天竜区二俣町阿蔵114-2 |
Tel | 053-925-6125 |
Fax | 053-925-2300 |
URL | http://www.tenhama.co.jp/ |
前身は国鉄二俣線
1918(大正7)年政府は国防を絡めた交通機関の整備をかかげ、1919(大正8)年に「全国鉄道線路網案」を発表して着々と整備がすすめられた。
その後、1918(昭和7)年に掛川~二俣を東線、新所原~二俣を西線として路線建設計画がスタート。これは戦争が拡大したときに、天竜川・浜名湖の橋が破壊された場合の迂回路線として計画されたものだった。ルートは掛川駅から浜名湖の北岸、金指・三ケ日を通り、新所原に至る67.9㎞。路線名称は「二俣線」とされた。
1933(昭和8)年掛川~森間の着工から約7年の歳月をかけ、1940(昭和15)年に二俣線が全線開通。沿線住民の通勤・通学の足としてだけでなく、木材や農産物、セメントなどの貨物輸送に大きく貢献した。
1958(昭和33)年には二俣駅まで遠州鉄道のディーゼル動車を乗り入れ、西鹿島駅から遠州二俣駅まで直通運転を開始。さらに1961(昭和36)年には遠江森駅まで乗り入れ延長したが採算が取れず、1966(昭和41)年に乗り入れ運転は全面廃止となった。
その後、全国鉄の経営悪化の状況下、政府は1980(昭和55)年日本国有鉄道経営再建特別措置法を成立させ、二俣線は1984(昭和59)年に廃止となった。
天竜浜名湖鉄道の誕生
この旧国鉄二俣線の路線を存続するため、県や沿線市町村等が出資し、1986(昭和61)年に第三セクターの新会社が設立され、1987(昭和62)年に「天竜浜名湖鉄道」が、新しいディーゼルカー15両、社員数77人で営業をスタートした。通称「天浜線」。
※社長は榛村純一掛川市長、会長は斉藤滋与史静岡県知事
1988(昭和63)年には、いこいの広場、原田、円田、浜松大学前、奥浜名湖の5駅を新設し、全線35駅となったことで、より地域住民の利便性が高まり、さらに新幹線掛川駅が開業したことで利用度がアップした。
1989(平成元)年には金指~新所原間がタブレット方式による運行が廃止になり、全線が電子閉塞方式に切り替わった。タブレット方式とは、1つの区間に1つの列車しか入れない区間を通るときに、必要な『通行手形』(タブレット)を 持っていなければ通ることができないシステム。これが電子信号で管理されるようになった。
1995(平成7)年にはフルーツパーク開園に伴い、新車両TH3000形が導入され、掛川市役所前とフルーツパーク駅が新たに新設されて37駅に。
しかし、自動車の普及による鉄道利用者の減少傾向は大きな現実問題となり、1999(平成11)年度から「天竜浜名湖線市町村会議」の支援で「経営基盤強化計画」の策定による投資を受け、経営基盤の安定化が図られた。
特に全国的にも珍しい木造建造物の扇形(せんけい)車庫や転車台装置のある構内の鉄道施設は登録文化財として指定を受け、見学者も多く訪れている。
・「扇形車庫」1940(昭和15)年に建設された車庫。木造の車庫が現役で使用されているのは珍しい。
・「転車台」1940(昭和15)年建設。蒸気機関車の向きを回転させるために造られ、当時は手動で回転させていた(現在は電動)。現在転車台が使用されているのは天竜二俣駅のみ。
2001(平成13)年には老朽車両をIC機能搭載のTH2000形車両に交代。
またその他、車両を貸切にして走らせる「イベント列車」などのオリジナル企画や、天浜線沿線の観光スポットとのタイアップイベントを企画し、天浜線の魅力を発信している。
※現在天竜浜名湖鉄道 天竜二俣駅の扇形車庫に隣接する鉄道歴史館には、国鉄二俣線や天浜線で実際に使われていた道具や資料などが展示されている。
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