高橋菊松たかはしきくまつ
誕生地 | 愛知県碧南市 |
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生年 | 1891(明治24)年 |
没年 | 1964(昭和39)年 |
高橋菊松とは
高橋菊松は、センタレス研削盤を開発した株式会社日進機械製作所の創業者。
生涯
1891(明治24)年現在の愛知県碧南市に誕生。酒好きで家業を顧みない父の代わりに、気丈な母が一家を支えた。無口で考え深い性格の菊松は15歳になり、横須賀海軍工廠で技術者として働くことを決意。5年間技術と機械知識を学び、20歳で豊田織機大阪工場で仕上工として働くことになる。そこで出会ったのが工場長の坂本久五郎である。
現:エンシュウ株式会社二代目社長である阪本久五郎の部下として1922(大正11)年に浜松にやってきた菊松は、阪本の下で技術をみがき、1931年(昭和6)年浜松市寺島町に日進機械製作所を創立して独立。経済不況のどん底の中、織機の部品である「送り出し装置」の考案から手がけ、新織機を開発し1936(昭和11)年には東南アジアやインドで織機の技術を指導。
1937(昭和12)年日中戦争が始まると、軍統制下で金属加工の旋盤製作に取り組む中、菊松は2つの砥石で材料を真円に近い精度で削る「センタレス研削盤」の開発に着手し、4年後の1941(昭和16)年に完成。軍の工場や飛行機製造会社など、戦後は自動車メーカーなどに採用された。
会社は時代を経て日進織機株式会社、株式会社日進機械製作所と改め、センターレスグラインダーの専門メーカーとして邁進。1964(昭和39)年、現:東区有玉西町に新工場建設にかかったが、その完成を見ず、菊松は逝去した。
人となり
名誉も地位も、金銭にも一切こだわらず、事業一筋に生き抜いた
参考
『浜松産業史』
『遠州機械金属工業発展史』
浜松といえば
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