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特集

浜松自慢エッセイ-その③- 「民俗芸能に浸る幸せ」

取材ライター 水島加寿代
 受け継がれる民俗芸能

寺野のひよんどり勝坂神楽2005(平成17)年、浜松市、浜北市、天竜市、舞阪町、雄踏町、細江町、引佐町、三ヶ日町、春野町、佐久間町、水窪町及び龍山村の12市町村が合併して、新しい浜松市が誕生しました。私はこの合併で、浜松市が大きな宝物を増やしたと喜んだことがあります。それは各地に息づいている民俗芸能の存在です。勝坂神楽(春野・10月下旬)、川合花の舞(佐久間・10月下旬)、今田花の舞(佐久間・11月上旬)、懐山のおくない(天竜・1月3日)、神沢のおくない(天竜・1月)、寺野のひよんどり(引佐・1月3日)、川名のひよんどり(引佐・1月4日)、西浦田楽(水窪・旧暦1月18日)といった、神楽や田楽神事の他、浦川歌舞伎(佐久間・9月下旬)、横尾歌舞伎(引佐・10月)、雄踏歌舞伎(1月第3日曜)などの芸能が、長年の想いを継承し、今に生き続けているのです。もちろん、まだ多くの民俗芸能が存在していましたが、多くは後継者不足で途絶えたものがたくさんあり、先に挙げた中でも、途中断念した時期を持つものがあるのも事実です。しかし、今の時代にまでしっかりと伝承されているもの、または甦らせているものが、この浜松市に存在していることは、私たち浜松市民にとって、大きな誇りだと思います。

 

1300年の 時を越えて

西浦田楽例えば西浦田楽は、1300年のときを1度も途絶えることなく、月の出から翌日の日の出まで夜を徹して行なわれている農祭りです。山々から神様をお呼びし、神様と一体になることで人々が生まれ清まり、新たな英気を養いながら次なる年への願いを込めます。そして、また神様をお送りする厳粛な神事は、見学者の私たちも身を正すことができる祭りだと感じます。この祭りを担う人たちは、家々ごとに役割が決まっていて、毎年その時期になると誰が指示をするでもなく、自分たちの役目を行っていきます。子供から青年、熟年、そして長老までが心を合わせ、さらに彼らが周囲の自然とも一体になって、ひとつの神事を全うする姿は、本当に美しく、温かく、凛とした空気が流れているのです。

「小さい頃から田楽を経験して育ってきました。今では自分にとって無くてはならないもの。この西浦の人たちと一緒に、愛する西浦の神事をこうして続けていけることを本当に幸せに思う」と話すのは、現在の西浦田楽の別当である高木八郎さんです。確かに西浦地区は高齢化が進み、そこに暮らす人が少なくなっている現実はありますが、そうした中、なぜこの地域の若者たちは、神事のたびに、故郷へ戻って来るのでしょうか。
現在の経済社会構造の中では、より合理的でスピーディで便利で楽しいことがもてはやされ、大事にされています。そんなまっただ中で生きている若者たちが、山里の小さな小さなエリアに残る、眠くて寒い神事を務めにくるのです。それはうわべだけでない心のふるさと、自然から教授される人間の営みの根源を、西浦田楽から学び育ってきているからではないでしょうか。

 

自然から学ぶ

山々は自然の偉大さを教えてくれます。山々は人間の小ささを実感させてくれます。山々は人間たちが自然にどう向き合うべきかを教えてくれます。西浦で育った子供たちは、豊かで変化に富んだ自然の中を駆け巡るうちに、驚きと感動を体験し、喜怒哀楽を学んだことでしょう。そしてこうした経験があるからこそ、急速に発展した都市生活の中でも「生きぬく力を供えているのだと思う」と、さりげなく語ってくれた長老の言葉が印象的です。
海外旅行もひとっとび、お金を出せば、大概のものが手に入るこの時代。でも、山々と一体となる貴重な神事を体験できる人たちは、どれだけいることでしょう。こんなに素晴らしい宝物の息吹を、少しでもおすそ分けいただきたく、私はまた、この地へ足を運びます。自らが生まれ清まり、山々から教えを乞うために・・・。

 

川名のひよんどり 今田花の舞 懐山のおくない
神沢のおくない 浦川歌舞伎 川合花の舞

 

2011年11月投稿

 

関連項目

浜松自慢エッセイ-その①- 「浜松の楽器博物館は世界一!」
浜松自慢エッセイ-その②- 「餃子文化は浜松オリジナル」
浜松自慢エッセイ-その④- 「浜松の山城に注目!」
浜松自慢エッセイ-その⑤- 「『30分間回泳』は浜松オリジナル!」