川名ひよんどりかわなひよんどり
開催地 | 福満寺薬師堂 (浜松市北区引佐町川名) |
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時期 | 1月4日 |
名義
五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全
川名のひよんどりの特徴
川名のひよんどりが行われる福満寺薬師堂は、最初の建立は奈良時代末期から平安時代初頭と推定され、何度か消失したが1856(安政3)年建立された堂が平成●年まで残っていた。
本尊である薬師如来は行基作と伝えられる。
その後井伊直貞が薬師如来像を新たに祀りかえたものが現在の本尊薬師如来。
毎年旧暦正月8日夜半に供物をあげ祭礼を営んだことが由来とされる。
松明と若者のもみあいから「火踊り祭り」がなまって「ひよんどり」になった。
正月2日に行われていたこともあったが、現在は正月4日に行われる。
舞は室町時代に伝わった田楽能を主にした舞いの形。
現在残る面は、翁面、三番叟、治部面、女郎面、お姥面、獅子面。
大禰宜、小禰宜、松明献納者、団子積の役、僧の供、若連と役が分担され、若連以外は世襲。
正月4日、川名河上流にある六所神社の神前で猪追いの儀を行い、帰りに若宮三社へ強飯と弓矢を納める。
大禰宜は祭宿で陣笠、鳥追い笠、お鍬様を製作。
祭礼順序
鏡餅(センベイとよぶ)など供物を献上。
夕方火打医師でおこした火で煮た強飯を高さ12cmの円すい型の木器につめて作った「つものけ飯」を献上。
若者が川名川に飛び込み身を清める。
祭宿から切火で点火した松明を薬師堂に献納。まちかまえていた七五三縄を巻いた若者がその松明を堂にいれさせないように防ぐ。このもみあいが壮観。
堂内に投げ入れられた松明は若者によって揉み消される。
五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全を願い歌が読まれる。
大禰宜の舞(マンゼ)、小禰宜の舞(チントト)が行われ四方を浄める式が行われる。
1.順の舞い 2.お姥舞 3.順の舞 4.はらみの舞 5.片剣の舞 6.片稲村の舞 7.両剣の舞 8.両稲村の舞い 9.獅子舞 の若連の舞が行われる。
オブッコやどの当主が薬師堂へ参詣に来る。
伽藍をしずめ式が終了。
役の者が堂にかえり、田打ち以下の田遊びが行われる(御祭礼田歌)。
堂内でまつりに参加した者が集まり、汁かけご飯を食べ祭りすべてが終了する。
川名地区ではこのまつりが終らないうちは汁かけご飯は食べない、またオブッコを背負った半纏の洗濯がされるまで、自分の洗濯も行わない習慣がある。
関連項目
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