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妙恩寺みょうおんじ
郵便番号 | 435-0013 |
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所在地 | 浜松市東区天竜川町179 |
時期 | 1311(応長元)年(開創) |
妙恩寺とは
1311(応長元)年に日蓮上人の法孫にあたる日像上人が開創し、開基は日蓮上人の叔父にあたり当時蒲之庄を支配していた金原法橋左近将監とされている。
現存する山門は11代目住職の日豪上人によって建てられたもので、山号「長光山」の文字も日豪上人の筆によるもの。
境内には金原明善の墓や、旗本松平氏の志都呂陣屋の代官をつとめるなか、歌人としても知られ石塚竜麿や本居大平の弟子であった波多 完(はたまたき)の墓がある。
宝蔵には日蓮上人直筆の本尊や御書の断片、日像上人の画像や戦国武将たちの判物などが納められている。
家康と11代住職日豪上人
日豪上人は武田家の重臣馬場美濃守の末子。しかし、徳川家康が武田軍と対陣の際、家康軍が妙恩寺を本陣に使用することを快諾している。また、三方原の戦いで敗れた家康が妙恩寺に身を隠し、難を逃れたという伝説も残されている。
これらのことによって日豪は家康から信頼を受け、家康が浜松城に在城するようになると、寺の紋に「丸に出二つ引き」を与えられ、囲碁の友としても親交を深め、家康の後年には日豪の為に浜松城内に一宇の精舎を建立して与えた。現在の妙恩山法雲寺がそれにあたる。
妙恩寺では現在でも表門の左柱に「家康公入出の門」の木札を掲げており、また、代は変わってしまったが、家康公手植えの黄楊(つげ)の木が境内にある。
関連項目
参考
『遠州の古寺』(静岡郷土出版社)
『浜松の史跡』(浜松史跡調査顕彰会)
『浜松歴史散歩』(静岡新聞社)
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