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波多 完はたまたき
生年 | 不明 |
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没年 | 1838(天保9)年 |
波多 完とは
遠州志都呂陣屋(現:西区志都呂町)の代官であり、歌人としても有名。
波多完の出自についてははっきりしておらず、生年もわかっていない。完の略伝について『八木美穂伝』(小山正著)に名号は金原氏、波多は秦とも書き、名は一郎(市朗)、出身は金原家総本家、萱場(現:東区安間町)の人と記されている。
志都呂陣屋は三河国五井(現:愛知県蒲郡市)に本拠を構えていた旗本五井松平氏がここに代官を置き、西遠地方に点在していた所領の行政を行なっていた。波多完は江戸後期、この陣屋の代官として治政にあたると共に、浜松地方の国学者や歌人とも交流していた。
完は石塚竜麿(いしづかたつまろ)に師事して歌を学び、また、本居大平の門にも入っている。竜麿の高弟小栗広伴や、国学を通じて有玉下村(現:東区有玉南)の高林方朗(たかばやしみちあきら)と親交関係にあったようで、1818(文政元)年の浜松宿梅谷本陣での賀茂真淵50年忌にも臨席している。
1838(天保9)年5月4日に他界。
東区天竜川町にある長光山妙恩寺に墓碑が建っている。
参考
『浜松の史跡 続編』(浜松史跡調査顕彰会)
『はままつ歴史発見』(静岡新聞社)
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