テクノポリスてくのぽりす
テクノポリスとは
産業・学術研究・住環境の調和のとれた技術集積都市のことであり、“テクノ=技術”“ポリス=都市”を意味している。
大都市に集積している産・学・住の拠点を地域へと移すため、テクノポリスを建設し、将来性のある地域都市造りを計ろうという目的のもと、1980(昭和55)年、通商産業省(現:経済産業省)によって“テクノポリス構想”が発表された。全国では38箇所もの地域がこれの誘致に名乗りをあげている。
浜松地域テクノポリス構想
浜松地域テクノポリスは2005(平成17)年市町村合併前の浜松市、浜北市、天竜市、引佐町、細江町を範囲としている。そして、それぞれの地域特性と先端技術開発を連携させて計画的な都市整備を図るとともに、浜松地域の発展に多大な影響を与えたオートバイ・楽器・繊維の三大産業に関しても新たな展開を促すことにより、知識集約度の高いより高度な産業構造をもった地方都市を創造することを基本理念とし、取り組まれている。
1980(昭和55)年にテクノポリス構想が発表されると、旧浜松市は複合的な地域産業の高度化をねらい、いち早く誘致に名乗りをあげた。
まず、産業立地対策室を発足、議会でも特別委員会を設けた。さらに産・学・官の関係者による浜松地域新技術産業都市構想推進協議会を構成し、県と民間研究機関共同で基本構想を策定。そして、具体的な検討段階に入り、旧浜松市は推進連絡会を発足、県推進対策室と連携しながら取り組んだ。1982(昭和57)年に浜松地域テクノポリス構想の策定を開始。このような自発的に地元産業の復興を目指す取り組みが評価され、1984(昭和59)年には全国ではトップを切って、他の9県とともにテクノポリス開発計画が国から承認された。
その後、各地でテクノポリス開発が進められ、1987(昭和62)年には光技術団地である浜北リサーチパーク(開発面積:17ha)の造成が完了。1988(昭和63)年、研究開発を中心とした異業種中小企業の工業団地であるテクノランド細江(開発面積:38ha)の造成が完了し、1990(平成2)年には16社の工場が完成している。1991(平成3)年には浜松地域テクノポリス構想の中核拠点である都田テクノポリス(開発面積:243ha)の造成が完了して1993(平成5)年に45社が操業を開始している。
また、1994(平成6)年に完成したアクトシティはテクノポリス構想の推進拠点として建設されている。
参考
『ももとせ 浜松市制百周年記念誌』(浜松市)
『ひと・まち・80年、そして未来』(浜松市)
『ふるさとの歴史シリーズ 浜松・浜名湖周辺』(郷土出版社)
『見る読む 浜松歴史年表』(羽衣出版)
『浜松の商工業 平成23年度版』(浜松市)
『遠州地方の交通発達史』(遠州鉄道)
浜松市WEBページ(2012.2 参照)
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