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弁天神社べんてんじんじゃ
郵便番号 | 431-0214 |
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所在地 | 浜松市西区舞阪町弁天島 |
時期 | 1709(宝永6)年(創建) |
弁天神社とは
1709(宝永6)年に武蔵川越城下仙波村(現:埼玉県川越市)の弁財天が江戸の松葉屋喜兵衛によって当地に勧請されたのがはじまり。市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)を祭神としている。
この神社が鎮座したことにより、それまで島は「西野」や「孤島(きつねじま)」と呼ばれていたが「弁天島」と呼ばれるようになった。
昔は舞坂宿と新居宿の間は今切を船で渡すという方法がとられており、安全の為に弁天島北側を航行する航路をとっていた。しかし、1707(宝永4)年の宝永地震で今切渡船は大きな被害を受け、松葉屋喜兵衛がその復旧工事を請け負った。そして、その復旧工事が完了すると、今切渡船の安全を祈願して弁天神社が建てられた。
その後、潮風や台風などにより社殿は被害を受け、幾度も修理が繰り返されてきたが、1854(安政元)年に起きた安政地震では津波によって社殿は跡形もなく流されてしまった。地震によって舞坂宿も大きな被害を受けていたため、神社の復興資金を出す余裕がなかったが、漁師たちは外洋に出る際には弁天神社に航海の安全を祈願してから出漁していたため、仮社殿の造営に応分の浄財を出し、仮社殿がつくられている。
文学碑
「天の川濱名の橋の十文字/正岡子規」
「月や風や夏しら波の海と湖/松島十湖」
「移棹休揺湖底天 芙蓉如夢蘸華巓 不関咫尺海濤壮 白鳥白帆相伴眠/茅原崋山」
関連項目
参考
『浜名湖・自然と歴史と文化』(明文出版社)
『舞阪町歴史散歩』(舞阪町)
『遠州歴史散歩』(静岡新聞社)
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