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松平資訓14 まつだいらすけくに
生年 | 1700(元禄13)年 |
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没年 | 1752(宝暦2)年 |
任期 | 1723(享保8)年~1729(享保14)年、 1749(寛延2)年~1752(宝暦2)年 |
松平資訓とは
資訓の姉の嫁ぎ先である第13代浜松城主松平資俊の養子となっており、資俊の跡を継いで浜松城主となっている。一度は三河国吉田(現:愛知県豊橋市)へと移ったが、その後、再び浜松城へ転封となった。
また、文化人としても優れており、後の遠州国学の土壌を築いている。
生涯
1700(元禄13)年に生まれる。父は佐野信濃守勝由、母は渡辺氏。
1712(正徳2)年、12歳の時に松平資俊の養子となり、1714(正徳4)年に図書頭、1718(享保3)年には豊後守となった。
1723(享保8)年に義父資俊の遺領を継いで浜松城主となっており、7万石を有している。
1729(享保14)年に大坂城代松平信祝が浜松に転封となったため、三河国吉田へ移った。
1741(寛保元)年には奏者番となり、1749(寛延2)年に京都所司代、侍従に昇進している。
1749(寛延2)年に再び浜松城へ転封となる。
その後、1752(宝暦2)年、53歳の時に京都で他界。
関連項目
参考
『浜松城と歴代城主』(浜松市博物館)
『浜松市史二』
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