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松平資俊13 まつだいらすけとし
生年 | 1660(万治3)年 |
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没年 | 1723(享保8)年 |
任期 | 1702(元禄15)年~1723(享保8)年 |
松平資俊とは
資俊の父宗資の姉は徳川綱吉の生母である桂昌院であり、そのため宗資は綱吉に仕えた。資俊もはじめは父とともに綱吉の長男である徳松に仕えており、徳松が他界するとその職を解かれ、旗本寄合となっている。
浜松在城中には浜松町奉行を置いて宿勢の詳細な調査を行ったり、新田の検地を行ったりした。
生涯
1660(万治3)年に生まれる。父は本庄宗資、母は二條家の家司隠河内守俊実の娘。
1699(元禄12)年に父の遺領を継ぎ、戦時に将軍を守る軍隊である小姓組の一員となっている。
1702(元禄15)年には侍従となり、浜松へ転封されて、7万石を領有した。
1705(宝永2)年に松平の名をもらい、本庄姓から松平姓へと変わっている。
1723(享保8)年、64歳で他界。
関連項目
参考
『浜松城と歴代城主』(浜松市博物館)
『浜松市史二』
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