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三方ケ原の戦いみかたがはらのたたかい
所在地 | 現浜松市北区三方原町周辺 |
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時期 | 1572(元亀3)年12月22日 |
三方ケ原の戦い
1572(元亀3)年に三方原で起こった、武田信玄と徳川家康の戦い。
結果は家康の惨敗。同年、12月22日武田信玄は神増付近で天竜川本流を渡り、秋葉街道に出て、有玉から三方原台地に上がり追分に出て、祝田(細江町)の坂で休止。
対する家康軍は12月22日に信長の援軍を含めて浜松城を出発。午後4時過ぎに家康軍が攻撃を開始。武田信玄軍約2万。家康軍は約1万の戦いであった。結果は家康軍が敗走した。
家康の家臣 戦死者
・成瀬藤蔵正義は宗源院(中区蜆塚一丁目)にある。
・鳥居四郎左衛門忠広
妻が菩提を弔うために建てた寺が中区紺屋町にある蓮華寺である。
・夏目正吉の碑は犀ヶ崖付近にある。
・信長の援軍の平手汎秀(ひらてひろひで)は、今切に向かう途中、東伊場(現:中区東伊場町)で戦死。ここには平手監物の墓がある。
浜松出世太鼓と酒井の太鼓
三方ケ原合戦の際に、徳川勢の時の太鼓の音に武田勢が驚いて兵を引き上げた、という故事がある。そこから浜松出世太鼓が造られ、浜松まつり会館に展示されている。
また、三方ケ原の戦いで家康が浜松城に逃げ帰った際、家臣である酒井忠正が勢いよく太鼓を打ち鳴らした。この迫力ある音と、かがり火と、城門を開け放ったことから、武田軍はなにか計略があるものと思い、退陣したと伝わる。この太鼓は酒井の太鼓と呼ばれ、浜松城にあったが、明治維新の際に現在の磐田市見付の人たちの手に渡り、現在は磐田市見付の旧見付学校に保管されている。
参考 ・ 見学
書籍
『浜松市史』
施設
浜松といえば
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