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『30分間回泳』は浜松オリジナル!
先日、久しぶりに会った小学校時代の友人と、当時の思い出として話題にのぼったのが『30分間回泳』。これは基本的に小学校5年生のプログラムとされ、30分間足を付かずに泳ぎ続けるという催しだ。どんな泳ぎ方でもよく、皆が一斉に、プールに円を描くように同じ方向に泳ぐので、いつしか一定の流れができ、泳がずとも浮かんでいるだけでもOK。昭和40年代に浜松で生まれた筆者も例外ではなく、この回泳に参加。当時は江之島水泳場まで出向いた記憶がある。学校のプールでの練習では、すぐに足を付きたくなっていたが、江之島のプールは、足を付きたくても付けられない深さがあったおかげだろうか、どうにか30分を無事に完泳することができた。
この『30分間回泳』、全国各地どこでも行われていると思っていたが、浜松市ならではの行事と聞いてびっくり。調べてみると、1966(昭和41)年に、浜松市小学校体育連合が主催でこの行事がスタート。当初は元城プールを会場に開催されていたという。この行事の目的は、浜松地域に河川が多く、遠州灘にも近いため、水難事故に備えて、30分間泳ぎ続けられる持久力を養うためだそうだ。以来、浜松市立の小学校では、2011(平成23)年現在まで、途切れることなく実施されている。
古橋廣之進&杉浦重雄
(※ToBiO正面と、ToBiO内の「日本水泳の歴史資料室」の古橋廣之進像)
江之島水泳場に替わり、平成21年から30分間回泳の会場となっているのが、ToBiO(古橋廣之進記念浜松市総合水泳場・トビオ)。ここは昭和初期に水泳界で活躍し、フジヤマのトビウオという異名を持つ古橋廣之進にちなんで命名され、設立された水泳場だ。古橋廣之進は、1928(昭和3)年に現在の浜松市西区雄踏町で誕生。戦後の1948(昭和23)年に開催されたロンドンオリンピックでは、敗戦国日本の参加が認められず、残念ながら古橋が金メダルをとることはできなかったが、オリンピックと同日に開催した水泳競技大会で、彼はオリンピック金メダリストのタイムをはるかに上回る記録を出した。その後も、次々世界記録を更新する古橋の活躍は、海外でも注目され、意気消沈していた日本にとって、勇気の原動力となっていたようだ。
水泳界で活躍した浜松に関連する人物として、もう一人、杉浦重雄も紹介したい。彼は古橋廣之進の時代をさらに遡った1917(大正6)年に、現在の南区鶴見町に誕生した。その後1936(昭和11)年、早稲田大学時代には、ベルリンオリンピックに水泳800mリレー選手の一人として出場し、見事金メダルを獲得した。杉浦重雄の母校である浜松市立飯田小学校では、先輩の偉業をしのぶ学校集会等も開かれたという。
(※写真:左から二番目が杉浦重雄)
ヒーローは地域が育て上げる!
杉浦重雄は、子供のころは、天竜川の支流で泳いで遊んでいたというし、古橋廣之進は、所属していた雄踏の小学校の水泳部で、伝統的な行事だった遠泳にも参加し、海水の混じる浜名湖の水で鍛えられたというから、両者とも、まさにこの地元浜松が育てた英雄といえる。ならば、浜松ならではの「30分間回泳」の体験から、遠泳名人なるヒーローの登場も、これからまだまだ期待できるだろうか???
2012年2月投稿
関連項目
浜松自慢エッセイ-その①- 「浜松の楽器博物館は世界一!」
浜松自慢エッセイ-その②- 「餃子文化は浜松オリジナル」
浜松自慢エッセイ-その③- 「民俗芸能に浸る幸せ」
浜松自慢エッセイ-その④- 「浜松の山城に注目!」