中浜名橋なかはまなばし
所在地 | 浜松市西区舞阪町弁天島~湖西市新居町新居 |
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時期 | 1932(昭和7)年完成 |
中浜名橋とは
1932(昭和7)年に架けられた西区舞阪町弁天島と湖西市新居町新居を結ぶ鉄筋コンクリート造のアーチ橋。
架設当初、橋脚上部にある欄干が三角に張り出した部分にスズラン灯が建ち並んでおり、自動車の通行も可能であった。現在ではスズラン灯は撤去され、自転車・歩行者専用のコミュニティ道路となっている。
浜名湖南部を繋ぐ浜名橋
1498(明応7)年の明応地震によって浜名湖に今切ができるより前、浜名湖の水は浜名川を通じて遠州灘へと流れており、浜名橋はそこに架かる橋であった。いつ頃からあったのかは不明だが、平安時代の862(貞観4)年に改修された記録が残っており、橋が落ちたり流されたりするたびに架け替えられていたよう。しかし、明応地震によって今切ができると、舞坂・新居間は渡船によって結ばれるようになった。
その後、1881(明治14)年12月に架けられた賃取橋の浜名橋により、再び舞坂・新居間は陸路でつながれるようになった。4つの木橋からなる浜名橋は、「へなへな橋」と揶揄(やゆ)されたほどに強度がなく、幾度も破損や流出が起きていた。そして、1899(明治32)年の暴風雨による落橋後は修復される事なく、通行手段は今切渡船へと戻ってしまった。
昭和に入って自動車が普及すると全国に国道が次々と建設されていき、それに伴い舞阪・新居間にも本格的な橋が架けられることとなった。1929(昭和4)年、浜名郡新居町新居(現:湖西市新居町新居)に西浜名橋が、1932(昭和7)年に浜名郡舞阪町弁天島(現:西区舞阪町弁天島)から新居町新居にかけて架かる中浜名橋が完成し、渡船は廃止されることとなった。
いずれの橋も現在では自転車・歩行者専用のコミュニティ道路として利用されている。
参考
『静岡県の近代化遺産』(静岡県教育委員会文化課)
『静岡県のすごい産業遺産Ⅰ』(静岡県文化観光部文化政策課)
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