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松平資昌18 まつだいらすけまさ
誕生地 | 現:愛知県豊橋市 |
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生年 | 1744(延享元)年 |
没年 | 1762(宝暦12)年 |
任期 | 1752(宝暦2)年~1758(宝暦8)年 |
松平資昌とは
第14、17代浜松城主である松平資訓の三男として生まれ、父の跡を継いで9歳の時に浜松城主となっている。その後、丹後国宮津(現:京都府宮津市)へと転封されるが、もともと病弱であったこともあり、わずか19歳で他界している。
生涯
1744(延享元)年に三河国吉田(現:愛知県豊橋市)で生まれる。父は松平資訓、母は岡本氏。
1752(宝暦2)年、わずか9歳の時に父の遺領を継いで浜松城主となっている。
1758(宝暦8)年には井上正経が浜松へ転封となったため、それに代わり資昌は丹後国宮津へと移った。
その後、病弱であった資昌は1761(宝暦11)年に所領を返上しようとするが、養子に家を継がせることを認められ、1762(宝暦12)年、19歳の時に他界している。
関連項目
参考
『浜松城と歴代城主』(浜松市博物館)
『浜松市史二』
浜松といえば
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