宿蘆寺しゅくろじ
郵便番号 | 431-1208 |
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所在地 | 浜松市西区庄内町721 |
Tel | 053-487-0057 |
時期 | 1466(文正元)年(開創) |
宿蘆寺とは
室町初期の1466(文正元)年に普済寺の命天慶受(めいてんけいじゅ)和尚によって開かれた。開基はこの地にあった佐田城の城主堀江下野守久実(ひさざね)とされている。かつては38カ寺にものぼる末寺を擁していた。
現在の本堂は1661(寛文元)年、庫裡は1703(宝永元)年に建てられたもの。
山門に掲げられている「藤谷山」の額は、徳川光圀(水戸黄門)の師匠である東皐心越(とうこんしんねつ)禅師の書。
開基堀江氏
堀江氏の先祖は越前国(福井県)の豪族藤原時国。時国は越前国堀江庄に住んでいたことから堀江氏を名乗るようになり、更にその4代後の光真が初めて遠江に来住し、佐田の城を構えた。当時の城がどの辺りにあったのかは不明。
大沢氏の菩薩寺
佐田城が落城した1522(大永2)年以降は大沢右京大夫基宿の代より堀江城主大沢氏の菩薩寺となって栄えた。寺内には価値ある古文書や遺品が数多く納められている。
境内には十代基宿(ともいえ)から19代基暢(とものぶ)までの10人の城主と、城主基之の長男基栄の11基の墓碑がある。
寺号・山号の由来
寺の西側には浜名湖があり、以前は深く入り込んで、芦(蘆)が多く宿っていたため、宿蘆寺という寺号がつけられたという。また、藤谷山(とうこくざん)という山号も昔、寺の背後の山に藤が自生しており、満開の頃には浜名湖を行き交う舟からも藤が見えたほどというところからつけられたとされる。
関連項目
宿蘆寺には三方原合戦の際、徳川家康が逃げ込んだという伝説も残されている。
参考
『遠州の古寺』(静岡郷土出版社)
『浜松歴史散歩』(静岡新聞社)
『浜松周辺の古跡漫歩』(鈴木遠音)
『浜松の史跡』(浜松史跡調査顕彰会)
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