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築山御前つきやまごぜん
生年 | 不詳 |
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没年 | 1579(天正7)年 |
概要
徳川家康の正室。松平信康の母。築山殿とも呼ばれた。
今川家の一門、関口義広の娘。母が今川義元の妹なので義元の姪にあたる。
生涯
1557(弘治3)年に今川家の人質だった松平元信(後の家康)と結婚し、1559(永禄2)年に信康、翌年に亀姫を生んだ。
1562(永禄5)年、築山御前の両親は、家康(元信より改名)が信長側についたことで今川の怒りをかい、自害させられた。
1567(永禄10)年、長男信康が織田信長の長女、徳姫と結婚。徳姫になかなか男の子が誕生しないため、築山御前は徳川の家臣である浅原昌時の娘を信康の側室に迎えさせた。
築山御前と信康母子は、関織田信長から武田氏に内通しているとの嫌疑をかけられ、信康は処刑を命じられ、築山御前は、1579(天正7)年本坂道(三ヶ日)~浜名湖をわたり~宇布見~入野~佐鳴湖東岸~小藪(富塚)経由で浜松へ来るとき、家康の命令を受けた野中三五郎重政と岡本平右衛門時仲によって、御前谷(ごぜんだに)で殺され、西来院に葬られた。
築山御前の墓の横には家康の異父弟の久松康俊の墓がある。
評判
江戸時代の書籍には「名門の血筋を鼻にかけ、傲慢で嫉妬深い情勢」など、悪く記されたものが多いが、近年では、家康が殺害させた理由づけではなかったか、という見解もある。
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