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国産第一号オルガンこくさんだいいちごうおるがん
代表者 | 山葉寅楠 |
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国産第一号オルガンとは
1887(明治20)年当時、効率の小学校が設立されると、各学校では唱歌科が設立されるとともに、輸入品の風琴(オルガン)を購入し始めていた。そんな中、浜松尋常小学校(現:元城小学校)にあった1台のオルガンが故障し、医療機器の修理技術を持っていた山葉寅楠が依頼され浜松を訪れた。初めて見るオルガンだったが、修理をした寅楠は、構造図を書き取り自分でも作ろうと決意。池町の小松屋の主人で、かざり職人をしていた河合喜三郎が用具や材料費などを工面し試作に協力。その他、浜松病院院長の福島豊策や学務委員の樋口林次郎なども援助し、音は肴町の魚屋の尾島弥吉が趣味の三味線弾きを見込まれて相談にのっていたという。こうして2ヶ月ほどでオルガン一台(39鍵)が完成。寅楠と喜三郎は東京の東京音楽学校(現:東京芸大)へオルガンを運び、音楽取調所で調律審査を受けたが最初は不合格。改めて音階の専門知識を学び、再度オルガンを製作して、ついに音楽専門家が太鼓判を押す一台を完成させた。
そしてその後、寅楠は喜三郎らと1888(明治21)年に山葉風琴製造所を設立し、オルガン製作をスタートさせ、1897(明治30)年には日本楽器製造株式会社を設立。1900(明治33)年には幼いころから寅楠のもとで修業して成長した河合小市が、ピアノアクションを作り上げたことにより、国産第一号のピアノが完成した。
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