鈴木俊三すずきしゅんぞう
誕生地 | 愛知県岡崎市 |
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生年 | 1903(明治36)年 |
没年 | 1977(昭和52)年 |
鈴木俊三とは
鈴木俊三は、現:スズキ株式会社の二代目社長、日本の二輪車立ち上げのパイオニア。
生涯
1903(明治36)年5月24日、愛知県岡崎市の木村善助の三男として誕生。1927(昭和2)年、浜松高等工業学校(現:静岡大学工学部)機械科を卒業後、鐘紡に入社。エンジニアとして勤めていたときに、鈴木道雄(スズキ株式会社創業者)と出会い、1931(昭和6)年にスズキ株式会社の前身である鈴木式織機株式会社に入社するとともに、鈴木家の婿となった。以来、設計企画から輸出業務まで幅広く担当して優れた手腕を発揮。
1951(昭和26)年、天竜川の掛塚橋を向かい風の中、自転車で走っていた俊三は、「自転車にエンジンをつけたら楽になる」と秋にひらめいたことを、翌年1月末には試作第一号(2サイクル30cc)を完成し、俊三はアトム号と名付けたという。さらに容積を36ccにアップしてバイク パワーフリー号を完成させた。これは5月の凧祭りの際にパレードに参加して発表。ダブル・スプロケット・ホイルという今までにない機構を付けたバイクモーターは大ヒット。その後の二輪車事業へと進むきっかけにもつながった。
1954(昭和29)年社名が鈴木自動車工業に改められた翌年の1955(昭和30)年には、当事の社長である鈴木道雄とともに日本初の軽自動車「スズライト」を発表。最初俊三は量産は時期尚早ではないかと消極的だったが、1959(昭和34)年9月24日の伊勢湾台風で本社の四輪組立工場が倒壊したのを機に、四輪生産の新工場建設を決意。翌年に工場が完成し、スズライトを増産。その後、各社から軽四輪車が登場し、世は軽四輪車のブームになっていった。
1960(昭和35)年6月にはイギリス・マン島のツーリスト・トロフィーレース(TTレース)に初出場し、125ccレースでブロンズ・レプリス賞を獲得。その後も2サイクルエンジンをとことんまで追究し、1962(昭和37)年のTTレースではスズキの50ccレーサーが驚異的記録で優勝。さらに各地レースで次々と連勝し、2サイクルエンジンの世界一の地位を確立した。
安定シェアを確保した二輪車に対し、まだまだ不安定だった軽四輪車。業界では「軽はこのまましぼんでいくのでは」という見方が多い中、俊三は日本の道路事情や国民所得水準からみても需要は拡大するはず、とあくまで軽を貫いた。そして1967(昭和42)年に開発した「スズキフロンテ360」が爆発的ヒット。軽としては最新鋭の生産設備を持つ磐田工場、湖西工場などで次々新車を生産し、業界トップを確立した。
人となり
公正、誠実な人で堅実な会社運営。
石橋をたたいてわたる慎重さを持つ。
大争議を体験した俊三は、労使関係に特に留意した。
ウソがいえず、几帳面で身辺も質素清潔。
参考・見学
書籍
『浜松産業史』
『遠州機械金属工業発展史』
施設
浜松といえば
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