井上正直25 いのうえまさなお
生年 | 1837(天保8)年 |
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没年 | 1904(明治37)年 |
任期 | 1847(弘化4)年~1868(明治元)年 |
井上正直とは
第24代浜松城主井上正春の長男として生まれ、父の他界後、その跡を継いで浜松城主となり、老中まで昇進している。明治になり、旧幕府が駿遠へ移されると、鶴舞(現:千葉県市原市鶴舞)へ転封となった。
浜松在城中には米津浜に砲台を建設し、外国船に対する遠州灘の沿岸防備を行ったり、和地山や四ツ池、三方原の開拓に取り組み、殖産興業を進めたりしている。また、父正春と同様、遠州織物の発展に力を尽くした。
井上家の家臣であった石川専七の子倉次は1890(明治23)年に日本点字を考案している。
生涯
1837(天保8)年に生まれた。父は井上正春。
1847(弘化4)年に父の遺領を継いで浜松城主となり、6万石を領有した。
その後、1861(文久元)年に寺社奉行、翌年には老中となっているが、1864(元治元)年に一時老中を辞職、翌年に再び復帰して1867(慶応3)年まで務めた。
1868(明治元)年に上総国鶴舞(現:千葉県市原市鶴舞)へ転封となり、版籍奉還後には鶴舞藩知事となった。
1904(明治37)年に68歳で他界している。
関連項目
参考
『浜松城と歴代城主』(浜松市博物館)
『浜松市史二』
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