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長島蒼山ながしまそうざん

誕生地 現:山形県
生年 1819(文政2)年
没年 1869(明治2)年
長島蒼山とは

江戸時代末期の俳人。安間木潤(あんまもくじゅん)や久米甘谷(くめかんこく)などの俳人を育てており、多くの句集や紀行文を書いている。
また、金原明善と親交があり、蒼山が明善を明治政府の要人に紹介している。

 

生涯

1819(文政2)年、赤湯(現:山形県)に生まれ、若くから俳道に精進した。
後年、京都にて摩訶庵を結ぶが、黙養庵西島烏谷の遺託により、摩訶庵を払い見付に移って烏谷の遺弟を教導した。その後、下石田(現:東区下石田町)の門人小池古心(小池治三郎)の別荘に住居を移し、俳諧を広めていった。
1868(慶応4)年4月に金原明善の懇請により京都に同行し、蒼山の師である桜井梅室(ばいしつ)の子息桜井能監(よしかた)を介して明治政府の要人に明善を紹介し、明善の天竜川治水建白書の上呈に協力した。
その翌年、1869(明治2)年1月25日、51歳のときに下石田の別荘にて他界している。
蒼山の厚情を受けた明善は、蒼山の七回忌法要を自費で普伝院にて行い、また、追悼句集『しら露集』を版行するなど報恩を尽くした。

 

主な著書

『雲鳥日記』(1858(安政5)年)・・・旅日記
『ひくまののにき』(1865(慶応元)年)・・・門人たちと共に三方原界隈一帯を散策したときの紀行日記

 

句碑

「さすかたはなくてたた飛ほたるかな」東区安新町 普伝院
「陽炎を見る目は餘所へ散らぬなり」東区豊西町 御嶽神社

 

参考

『浜松の史跡』(浜松史跡調査顕彰会)
『浜松歴史散歩』(静岡新聞社)
『はままつ歴史発見』(静岡新聞社)

 

 

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