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安間木潤あんまもくじゅん
誕生地 | 現:浜松市東区天王町 |
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生年 | 1827(文政10)年 |
没年 | 1916(大正5)年 |
安間木潤とは
稲荷神社神主職を務め、富月庵木潤と号し俳界で活躍した人物。
生涯
1827(文政10)年6月15日、遠江国長上郡天王村(現:浜松市東区天王町)の竹山勝平の次男として生まれた。1845(弘化2)年、19歳のとき安間家の養子となっている。
1859(安政6)年、33歳のとき、黙養庵烏谷の門下となった。
烏谷没後は遺言から摩訶庵蒼山の門下となり、蕉門の伝道を許された。小池古心とともに蒼山風俳諧の中心的存在であった。
1916(大正5)年3月20日に病死。享年90歳。
木潤の後継者としては大須賀周夢・鈴木静山の名がある。
代表句
「木根ほるこたまにきはし秋の暮れ 早う来て一声鶴も手向けり」(蒼山七回忌追善句)
「野も山も末枯れてたたひとつ松 流れ来て鶴もうたふや春の水」(七十翁木潤)
参考
『浜松の史跡 続編』(浜松史跡調査顕彰会)
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