浜松の陸上競技はままつのりくじょうきょうぎ
陸上競技のはじまり
陸上競技が日本で最初に行われたのは1874(明治7)年3月21日、東京築地にあった海軍兵学寮の競闘遊戯会とされている。
静岡県内で遊戯会や運動会が初めて行なわれたのがいつごろかは定かでないが、明治時代の地方紙『大務新聞』の記事を見てみると、1885(明治18)年4月12日付けの新聞に運動会開催の記事が初めて掲載されている。浜松でも浜松中学校(現:浜松北高)が1885(明治18)年4月18日に敷知郡米津(よねつ)海岸(現:南区米津町)で行ったという記録が残っている。
しかし、当時は河川敷・海岸・山野を会場として、旗奪競争・一足競争・三足競争・綱引きなどの競技が行われており、現在の陸上競技とは異なるものであったようだ。県内で運動場が初めて使用されたのは1887(明治20)年5月に開催された静岡尋常中学校(現:静岡高校)の運動会で、生徒10名ごとの競争が行われている。そして、翌年5月の運動会では「長距離競争」が、同年11月の師範・中学合同運動会では「高跳」「巾跳」「棒跳」が行われ、徐々に種目数も増えていった。
陸上競技大会の開催
日本で最初の陸上競技大会が開催されたのは1912(明治45)年に行なわれたオリンピック選手選考競技会。1913(大正2)年には現在の日本選手権大会にあたる大会を初めて開催。静岡県内では1921(大正10)年5月に2市13郡670名の選手による体育大会が開催されている。また、当時は女子体育に対する理解が低かったが、1924(大正13)年に県下14校の高等女学校が参加し、女子の大会が開催された。
1927(昭和2)年に上海で開催された極東大会(アジア大会の前身)では浜松高等工業学校(現:静岡大学工学部)の深津健一や藤田康行が出場しており、藤田は円盤投げで2位という記録を残している。
また、浜松第二中(現:浜松西高)の石川準司は1940(昭和15)年の五輪選手に選出されるが、第二次世界大戦などの影響によってベルリン大会は開催されなかった。
戦後の陸上競技
1945(昭和20)年には競技会はほとんど行われなかったが、1946(昭和21)年に第1回国家再建陸上競技大会が富士中(現:富士高)で行われると、次いで中部駅伝が復活、その後、数々の大会が開催されるようになった。また、同年3月には静岡陸上競技協会の前身である県陸上競技協議会が設立され、浜松市陸上競技協会も西部支部と一体の組織として誕生している。
高校では戦前に活躍した選手らによって指導が行われ、1953(昭和28)年の全国高校陸上競技大会では浜松商業が優勝するなど、目覚しい活躍をみせている。また、西遠女子学園が全国高校選手権で優勝するなど、女子選手の活躍も目立つようになった。
以降、数々の大会で浜松勢は好記録を残しており、1964(昭和39)年の東京オリンピックには宮本悦子や高柳慧、鈴木章介らが出場している。
1970(昭和45)年ごろより浜松勢の活躍があまりみられなくなると、小中学生の競技人口増加のために大会を開催したり、日本一流の選手を招待して刺激を与えたりしており、それによって徐々に成績も回復していった。また、静岡県勢が不得意とされた長距離においても、1993(平成5)年の全国高校駅伝で浜松商業が準優勝を果たしている。
関連項目
参考
『静岡県体育史』(静岡県体育協会)
『静岡県体育史』1988~1997(静岡県体育協会)
『静岡県体育史』1998~2007(静岡県体育協会)
『浜松市体育協会史』(浜松市体育協会)
『静岡県昭和人物誌』(静岡新聞社)
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