飛行第七連隊の火薬庫爆発ひこうだいななれんたいのかやくこばくはつ
時期 | 1933(昭和8)年6月7日 |
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第七連隊の火薬庫爆発とは
1933(昭和8)年6月7日の夜、三方原台地に置かれた陸軍飛行第七連隊の火薬庫で爆発事故が起きた。
午後8時45分ごろ、突如火薬庫が轟音とともに爆発、真赤な火柱が立ち上った。火は火薬庫の外に置かれた爆弾にも移って大爆発を起こし、さらにその東側にあった軽油庫に引火した。爆発は8日の午前0時20分ごろまで計5回も起き、その爆風によって遠く離れた田町(現:中区田町)など市街地でもガラスが割れるほどの激しさであった。
当時、破損の程度は軍の秘密として明らかにされなかったが、爆発した爆弾22.5t、ガソリン5,000缶、損傷を受けた爆撃機6機など、損害額は500万円であったと伝えられている。
爆発までの経緯
その日、秋の大演習に備えて牛馬車約20台を動員し、大量の爆弾を浜松駅から運んでいた。第七連隊の火薬庫前まで爆弾を運ぶと、午後8時30分過ぎ、それを降ろすために火工長と運送人夫の2人が火薬庫へ爆弾にしく枕木を取りに入っていった。すると急に大爆発が起きた。
爆発の原因について当時は自然発火と発表されているが、火薬庫に入った2人は亡くなっており、詳細は分かっていない。
陸軍飛行第七連隊
飛行第七連隊は最初、東京の立川飛行第五連隊内に置かれ、そして、1926(大正15)年10月、今の葵東・高丘地区など広大な三方原台地へと転営してきた。その後、陸軍航空充備計画にともない、1938(昭和13)年に飛行第七戦隊と改称された。
太平洋戦争時には各地の基地から発進し、アメリカ機動部隊を攻撃する作戦を展開した。
参考
『ひと・まち・80年、そして未来』(浜松市)
『ふるさとの歴史シリーズ 浜松・浜名湖周辺』(郷土出版社)
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