岐佐神社きさじんじゃ
郵便番号 | 431-0021 |
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所在地 | 浜松市西区舞阪町舞阪1973 |
岐佐神社とは
創建は不明だが、927(延長5)年にまとめられた『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』に記載された式内社。赤貝の神である蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)と蛤の神である蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)を祭神としている。
祭神が海に関係していることから、水産や漁業の守り神として信仰されており、また、境内に祭られている赤石(あかいし)の神話に因んで火傷や病気に関してもご利益があるとされている。
明応地震
岐佐神社が現在の地にまつられるようになったのは1498(明応7)年に起きた明応地震以後。
地震の津波によって舞澤(現:舞阪)を含む多くの土地が水没し、大きな被害を受けている。その津波によって流れ着いた岐佐大明神の小神祠を住民たちが見つけ、社殿を建立してまつったのが現在の鎮座地。
神社付近の松原には地震の難を逃れた住民たちが集落を作っており、それが現在の舞阪町のもととなっている。
赤石(あかいし)
岐佐神社の拝殿西側にまつられている石。
この赤石は『古事記』(上巻)に登場し、大国主命(おおくにぬしのみこと)を兄君たちが殺そうとしたときに使われた石だとされる。
大国主命が兄君たちとの恋争いの末、八上比売(やがみひめ)という美しい娘と結婚の約束をする。しかし、恋に破れた兄君たちは大国主命を殺そうと、山の上から赤い猪に似せて真っ赤に焼いた大石を大国主命目掛けて転がし、それを受け止めた大国主命は大火傷を負い、命を落としてしまう。
この大国主命を手当てし蘇生させたのが岐佐神社の祭神である蚶貝比売命と蛤貝比売命。
こういった伝承により、岐佐神社に赤石がまつられている。
関連項目
参考
『舞阪町歴史散歩』(舞阪町)
岐佐神社境内案内板
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