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菅沼定政01 すがぬまさだまさ
誕生地 | 現:岐阜県 |
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生年 | 1551(天文20)年 |
没年 | 1597(慶長2)年 |
任期 | 1586(天正14)年~1590(天正18)年 |
菅沼定政とは
家康が上洛の際、家康の三男秀忠が幼かったため、秀忠に代わり1586(天正14)年から1590(天正18)年の4年間にわたり、浜松城を守っている。
そのため、定政は城主ではなく城代※。
※城代(じょうだい)/城主に代わって城を管理する者
生涯
1551(天文20)年に美濃国多芸郡(現:岐阜県)に生まれる。父は土岐定明、母は菅沼大膳亮定廣の娘。
もともと土岐を名乗っていたが、定政が2歳の時に父が戦死し、母方のおじである菅沼定仙(さだのり)の養子となったため、菅沼姓となった。定仙はもともと今川家や武田家に仕えていたが、元亀年間(1570~72年)には家康に仕えるようになっている。
1564(永禄7)年、定政14歳の時に初めて家康にお目通りが許され、以降、定政は家康の家臣として活躍する。
1565(永禄8)年には三河国加茂郡(現:愛知県)に領地を有していたが、1582(天正10)年に武田家が滅亡後、甲斐国巨摩郡切石(現:山梨県)に1万石の領地を得るとそこへ移り住み、大名となった。
1586(天正14)年からの4年間は、秀忠に代わり浜松城を守ることとなり、その後、1590(天正18)年には下総国相馬郡(現:茨城県・千葉県)に1万石を与えられ、移っている。
1593(文禄2)年に従五位下、山城守に任じられた。また、旧姓の土岐に復し、没落した土岐の家名を大名として再興することが許された。
1597(慶長2)年に47歳で他界している。
関連項目
参考
『浜松城と歴代城主』(浜松市博物館)
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