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県藤七郎の壊恩碑あがたとうしちろうのかいおんひ
所在地 | 浜松市中区森田町 |
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時期 | 1899(明治32)年5月建立 |
概要
昔、手がつけられないほどに荒れていた伊場村の一角を率先して開墾した県藤七郎をたたえた顕彰碑。
県藤七郎による開拓
現在の森田町にあたる伊場村の一角は昔、度重なる洪水などで土砂に埋まり、流れが停まった場所が芦の生い茂る沼田となっていた。藩でも幾度となく開拓の計画を立てたが、賛同するものがおらず、ますます荒れていくばかりであった。
そんな中、県藤七郎は自ら率先して開拓を引き受け、安政5年、14家族と共に現場に移り住み、開拓作業を日夜続けた。その結果、10数ヘクタールの美田が築かれた。
そして、万延から文久年間に至ると次第に人家が増加し、一つの村落ができ、屯田の意味からこの地域を「毛利多」と呼ぶようになった。
参考
『浜松市の石造文化財』(浜松市教育委員会)
『浜松市石造文化財所在目録』(浜松市教育委員会)
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