池の平のふしぎいけのだいらのふしぎ
所在地 | 浜松市天竜区水窪町(伝承地) |
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内容
昔、水窪の南にある高根城に敵兵が攻め寄せてきたときのこと。城主の民部少輔(みんぶのしょう)貞益は応戦したが敵兵は優勢で、城主を初め、みな討死してしまった。
城主の妻、おわか様には二人の幼い子供があり、せめて子供だけでも生かそうと、おわか様は城を抜け出し、城下の水窪川のほとりまで逃げてきた。
すると、そこには多くの敵兵がおり、子供二人を抱えてでは抜けられないと感じたため、片方の子供を川の渕に投げ入れた。後にこの渕は「赤児渕(あかんぶち)」とよばれるようになる。
更に山を分け入っていくと、一軒の小さな家があり、そこには一人の老婆が留守番をしていた。おわか様はそこで一杯の水をもらって飲むと、敵が来ても自分がどこへ逃げたか言わないよう老婆に頼んだ。しばらくして敵兵が老婆の家へやって来て、おわか様の行方を聞いた。敵兵は老婆を脅し、それに恐ろしくなった老婆は口で言わない約束をしていたので、手で山のほうを差し示した。
おわか様は、山を登りつめたところにある池の平という凹地まで、くたくたになりながら登っていった。
ここなら大丈夫と思い、草の中に身を隠そうとすると、突然子供が泣き出してしまった。その声を聞きつけた敵兵が近づいてきたので、もはやここまでと、短剣を抜き応戦したが、無念にも殺されてしまった。
その場所におわか様をまつる小さいお宮を建てたが、まだおわか様の思いが残るのか、今もまだ、普段は平地の部分から8年ごとに水が沸いては池を作る。
参考
『遠州七ふしぎの話』(遠州伝説研究協会)
『遠州伝説集』(遠州タイムス社)
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