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お茶おちゃ
お茶栽培の始まり
日本でお茶が栽培されるようになったのは、1191(建久2)年、栄西弾師が中国(宋)からお茶の種子を持ち帰ったのが最初とされる。静岡県においては、安倍郡美和村足久保(静岡市葵区栃沢)に僧弁円が1241(仁治2)年、宋(中国)より種子を持ち帰り、栽培したのが始まりとされている。江戸時代末期、静岡県で茶園らしい栽培がされていたのは、川根地区と安倍郡北部の一部だけで、その他は畦畔茶などであった。1869(明治2)年には徳川慶喜の護衛隊が中条景昭を指導者に牧の原台地において大々的に開拓が行なわれた。浜松でのお茶の栽培は明治初期からの三方原台地の開拓事業によって植え付けが始まり、また、天竜地区においても新たにお茶が植えられ、地域経済に大きく寄与してきた。昭和30年代には在来品種を優良品種の「やぶきた」へ改植、昭和40年代には製茶機が大型化して製茶工場が設立、機械化も進み静岡県は日本最大の茶産地を形成していった。
浜松のお茶
浜松で栽培されている品種は、やぶきた、さえみどり、つゆひかり、おくみどり、おくひかり、べにふうき、香駿などで、栽培面積は950ヘクタール、生産量は860トン(平成21年度統計)となっている。三方原台地を中心とした地域で栽培されている浜松茶を「平地のお茶」と呼び、赤土の肥えた土と温暖で日照時間が長く恵まれた気候のもと、しっかりと厚い茶葉に育つので茶葉の芯まで蒸す深蒸しにすることが多い。香り高い深蒸し茶は濃い緑色でコクが感じられる。天竜区や帰宅の山間地で栽培された天竜茶、春野茶、引佐渋川茶、龍山茶、佐久間茶、水窪茶は「山のお茶」と呼ばれる。日照時間が短く昼夜の温度差が大きいので葉が柔らかく、蒸し時間の短い浅蒸しにする。澄んだ黄緑色で渋みとうまみのバランスがよく、すがすがしい香りがする。
2005(平成17)年の天竜区の農業産出額の内、お茶は38%を占めている。近年では、大半が山間傾斜地に栽培されていることや生産者の高齢化などにより減産傾向にあるが、中国野菜との複合経営が取り組まれるなど、経営基盤を確保しながら茶産地として維持されている。春野町では県内有機茶の1/3にあたる40ヘクタールほどを栽培しており、有機茶に関しては県下一の栽培面積。有機茶は収穫前の三年以上、化学肥料や農薬を使用しないという有機JAS規格の厳しい条件をクリアしないと名乗ることができない。2008(平成20)年7月に開催された北海道洞爺湖サミットでは、各国首脳に天竜茶が振舞われた。また、天竜茶は全国茶品評会でも上位入賞を重ねている。
2005(平成17)年の天竜区の農業産出額の内、お茶は38%を占めている。近年では、大半が山間傾斜地に栽培されていることや生産者の高齢化などにより減産傾向にあるが、中国野菜との複合経営が取り組まれるなど、経営基盤を確保しながら茶産地として維持されている。春野町では県内有機茶の1/3にあたる40ヘクタールほどを栽培しており、有機茶に関しては県下一の栽培面積。有機茶は収穫前の三年以上、化学肥料や農薬を使用しないという有機JAS規格の厳しい条件をクリアしないと名乗ることができない。2008(平成20)年7月に開催された北海道洞爺湖サミットでは、各国首脳に天竜茶が振舞われた。また、天竜茶は全国茶品評会でも上位入賞を重ねている。
参考
『遠州の地場産業』(静岡県西部地域しんきん経済研究所)
『静岡県 農・林・水 産地ガイド』(関東農政局静岡統計情報事務所)
『明日も元気!はままつ農業』(浜松市役所)
浜松市農政課ヒアリング
『静岡県 農・林・水 産地ガイド』(関東農政局静岡統計情報事務所)
『明日も元気!はままつ農業』(浜松市役所)
浜松市農政課ヒアリング
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