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セルリー(セロリ)せるりー(せろり)
概要
静岡県は長野県と並ぶセルリーの二大産地だが、浜松産は11月から5月、長野県産は5月から11月と出荷時期が分かれているため、冬のセルリー生産は浜松が全国の7割を占めているおり日本一。
セルリー栽培の始まり
セルリーは豊臣秀吉の朝鮮出兵時、加藤清正によって日本に伝わった。静岡県では戦前に旧豊田町の有識者によって導入されたのを始まりとし、1943(昭和18)年には浜松市東区豊西・中ノ町地区で栽培されるようになった。1948(昭和23)年には神久呂地区、1949(昭和24)年~1951(昭和26)年にかけて伊佐見地区・三方原地区へと生産が広まっていった。当初は栽培技術が確立されておらず、需要も不安定だったが、1950(昭和25)年の朝鮮戦争による特需があり、1953(昭和28)年には米軍に「清浄そ菜栽培地」として認定を受け、一層の産地拡大が図られた。駐留米軍特需用とともに国内需要も増えていき、需要拡大とともに、農業用ビニールハウスを利用した作型開発による作業の効率化が行われていった。1963(昭和38)年にはセルリーを中心として「浜松洋菜協議会」が設立、生産基盤の充実や流通の仕組みの整備されることよってさらに生産が拡大していった。
浜松市で栽培されているセルリーは、1951(昭和26)年にアメリカのユタ州から取り寄せた「コーネル619」を基に、関係指導機関が一体となって形質改善を行い育成した。葉柄が肉厚・大株で臭みの少なく軟白しなくてよい中間色種であり、さらに栽培の容易化が図られ、以降現在まであらゆる栽培に使用されている優良品種。
浜松市で栽培されているセルリーは、1951(昭和26)年にアメリカのユタ州から取り寄せた「コーネル619」を基に、関係指導機関が一体となって形質改善を行い育成した。葉柄が肉厚・大株で臭みの少なく軟白しなくてよい中間色種であり、さらに栽培の容易化が図られ、以降現在まであらゆる栽培に使用されている優良品種。
浜松のセルリー
静岡県内のセルリー収穫量の中では浜松市が突出しており、現在は天竜川西岸の沖積砂壌土の東区豊西地区と三方原台地南部の洪積埴壊土の大久保地区が主な産地となっている。栽培方法は露地栽培とハウス栽培に大別され、ハウス栽培は全栽培面積の80%以上を占めている。しかし、作付面積は平成7年をピークに減少傾向にある。種まきから収穫まで約半年もかかり栽培経験も必要なセルリーは、近年、地球温暖化による土壌病害や害虫の発生といった被害が多くなっているが、「浜松洋菜」は品質の良さが認められ、高値で取引されている。
セルリーはオランダミツバとも呼ばれ、強い芳香と歯切れのよさが特徴で、茎をサラダにするなど生食される。ビタミンB1・B2、カルシウムを多く含んでおり、繊維も豊富。
セルリーはオランダミツバとも呼ばれ、強い芳香と歯切れのよさが特徴で、茎をサラダにするなど生食される。ビタミンB1・B2、カルシウムを多く含んでおり、繊維も豊富。
参考
『遠州の地場産業』(静岡県西部地域しんきん経済研究所)
『静岡県 農・林・水 産地ガイド』(関東農政局静岡統計情報事務所)
『明日も元気!はままつ農業』(浜松市役所)
『静岡県 農・林・水 産地ガイド』(関東農政局静岡統計情報事務所)
『明日も元気!はままつ農業』(浜松市役所)
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