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家康と小粥の姓いえやすとおがいのせい
所在地 | 浜松市中区曳馬(伝承地) |
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内容
戦国時代の頃のこと、家康率いる徳川軍は三方原の戦いで武田軍に大敗。家康は命からがら逃げることができたのだが、逃げ隠れしているうちにすっかりお腹が空いてしまった。
耐えきれなくなった家康は、ある農家に飛び込み食べ物を求めた。農家の老夫婦は、今煮ているのは、粗末な米の粥で、とても人にあげるようなものではないと断ったが、それでもいいと家康はお粥をもらった。
おなかいっぱい食べた家康は、いずれ恩返しをすると言い残し、走り去っていった。
家康は天下を取ったあと、その老夫婦にお礼にと「小粥」の姓を与えた。後にその家は庄屋を務め、家はますます栄えた。小粥の家紋は丸に二引。これは家康が粥を食べたとき、茶碗の上に箸を置いたかたちだという。
参考
『ふるさと再発見 遠州の民話』(静岡新聞社)
『浜松の伝説 上』(ひくまの出版)
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