山本又六やまもとまたろく
生年 | 1881(明治14)年 |
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没年 | 1980(昭和55)年 |
名誉市民顕彰日
1966(昭和41)年7月1日
概要
浜松工業学校長、浜松工業試験場長などを務め、織物工業機械化の基礎作りなど、50年余りにわたり遠州織物業界の振興と地域産業基盤づくりに貢献。
生涯
山本又六は1881(明治14)年、高知県安芸郡土居村(現:安芸市)に生まれ、東京高等工業学校(現:東京工業大学)附設工業教育養成所染色科を卒業した。石川、徳島両県の工業学校勤務を経て、1915(大正4)年、静岡県工業試験場の主任技師として浜松に着任した。遠州織物の振興には、産業の近代化と機械化と技術者の養成が大切と、指導・教育機関の誘致を図り、特に、工業学校の設置に尽力し、1918(大正7)年に浜松工業学校(現:浜松工業高校)が設立されると、その初代校長となって1945(昭和20)年までの長期にわたり、工業を目指す青少年の指導育成に努めた。
広幅織機を使用すること、品種を増やすこと、整理加工を改善すること、また検査を励行による信用保持を提唱することなどを提唱し、遠州織物の基盤づくりに貢献。さらに染色技術の開発にも加わり、ドイツから輸入した人工染料による染色法を研究し、品質が不揃いになりがちだった天然藍に代わる人工染料染色法を完成させ、品質の均一化を計り、業界に普及させた。
こうした遠州織物に関する専門知識と経験を後年に残すため、『遠江織物史稿』を執筆。戦後は遠州織物業関係の役員だけでなく、浜松商工会議所名誉会長、静岡県労働委員会委員、浜松市選挙管理委員などを歴任し、1966(昭和41)年に浜松市名誉市民に顕彰された。
関連項目
参考
浜松市勢要覧
『浜松産業史』
浜松といえば
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