栗原勝19 くりはらまさる
誕生地 | 浜松市 |
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生年 | 1924(大正13)年10月3日 |
任期 | 1979(昭和54)年5月1日~ 1999(平成11)年4月30日 |
栗原勝とは
栗原勝は、浜松市の第19・20・21・22・23代浜松市長。任期は、1979(昭和54)年5月1日~1999(平成11)年4月30日。
市長就任まで
1924(大正13)年10月3日誕生。浜松工業学校図案科を卒業後、東京工業大学在学中には、建築家谷口吉郎博士について学び、藤村記念堂の建築に協力した。
1948(昭和23)年浜松市役所に入ると、図書館再建運動が盛り上がる中で設計を担当。1950(昭和25)年11月20日開館した浜松市立図書館は美術館、博物館、レコードライブラリーなどの機能を兼ね備えた革新的建物となった。その後、企画課長、調整部長、財政部長、収入役などを歴任した。
市長就任後
1979(昭和54)年市長選に初当選。以来、5期20年にわたり、「産業と文化の調和ある豊かな人間都市」づくりの事業を展開した。
特に栗原市長誕生とともに大きな変化をみたものは建築。学校建築では1981(昭和56)年完成の滝沢小学校を皮切りに、都田南小学校、富塚中学校などが学区の風土に合わせ建てられた
また公民館や図書館整備を積極的に行い、国内でも有数と評価された他、加茂真淵記念館1984(昭和59)年、浜松まつり会館1985(昭和60)年、浜松科学館1986(昭和61)年、クリエート浜松と浜松復興記念館と浜松文芸館1988(昭和63)年、浜松アリーナとフォルテ1990(平成2)年などが次々に誕生。浜松駅前には1982(昭和57)年バスターミナルを完成させ、アクアモールやサンクンガーデンと関連させたアクトシティを開発し、美しい都市景観を創り上げた。
工業振興では通産省のテクノポリス構想が発表されると、いち早く体制を整え、1981(昭和56)年にテクノポリス構想が承認された。1991(平成3)年浜松工業技術センターが開所し、新時代の工業基盤が進められた。
1982(昭和57)年6月28日浜松の人口が50万人に達成。
栗原市政の特徴として市民参加による運動が活発なことが挙げられる。市長就任の翌年から「ごみ10%減量運動」、1986(昭和61)年からの暴力追放不運動など市民参加のまちづくりをはじめ、国際コンベンションシティ構想・音楽文化都市構想などのプロジェクトも推進した。
参考
浜松市ホームページ
歴代浜松市長と市政のあゆみ展冊子(浜松市立中央図書館編)
浜松といえば
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