胃カメラいかめら
代表者 | 杉浦睦夫 |
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胃カメラとは
胃カメラの開発に成功したエンジニアは、現在の浜松市東区中野町生まれの杉浦睦夫。
当時主に使われていたレントゲンでは、胃がんなどを早く発見できず手遅れになることが多く、それを何とかできないかと考えたのが東京大学附属病院の宇治達 郎外科医。その願いに応え杉浦が宇治達郎、部下の深海正治らとともに1950(昭和25)年世界初の胃カメラの開発に成功した。その技術は「内視鏡技術」、あるいは「ファイバースコープ」として発展し、各方面で広く使われている。
人間の咽喉および食道の平均的な口径は、14ミリ。そこで杉浦は、胃に挿入する胃カメラ本体の管の口径は12ミリ、内径は8ミリ程度とし、その先端にレンズとランプとフィルムを内蔵する構造とした。 レンズは焦点距離5.06ミリの接写レンズ、ランプは直径五ミリの豆電球、フィルムはASA20の35ミリフィルムを縦に細く七等分して、五ミリ幅のフィルムを採用。また、フィルムのコマ送りは、フィルムの先端にひもを付けて引揚げるという極めて単純な方法を採用することとし、そのひもは太さおよび強度などから三味線の弦が適し、なかでも細棹用の二の糸が最適であることなどが次第に明らかとなった。
1950(昭和25)年に開催された日本臨床外科学会で、宇治が「胃カメラ」を発表。のちに「腹腔内臓撮影用写真機を用いた診断法」についての学位論文を提出し、博士号を取得。
またオリンパスは、発明者の宇治、杉浦、深海の連名で、胃カメラの特許を申請。日本、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスで特許を取得し、その特許によって、オリンパスは内視鏡のおよそ8割のシェアを持つことになった。
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