写真フイルムしゃしんふぃるむ
代表者 | 旭日写真工業 |
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菊フィルムとは
写真が日本に伝わったのは江戸時代末。当時の写真フィルムは全て輸入品だった。
旭日写真工業の堀内勝治郎と研究者である小島正治は1928(昭和3)年に初めて国産フィルム(菊フィルム)を開発。
1928年(昭和3年)、現在の浜松市にあった旭写真工業株式会社で製造販売された日本初の写真用ロールフィル。日本の国花「菊」から名をとる。
創業者は堀内勝治郎。旭日氷糖という浜松にあった氷砂糖製造会社の経営者で、出入りしていた納入業者を通じて小島正治というフィルム研究者と知り合い、外国製のものばかりの日本の感光材料業界で、日本製の開発の研究に励む小島を資本援助、東京にSK社を設立。試作品の完成後、企業化のため浜松で旭日写真工業㈱を創業した。
しかし気候の違いや水質の違いが影響し、はじめ東京で成功したものが浜松ではうまく製造できないという問題が発生。フィルムの製造は日本初の試みで、外国にもその例は少なく、製造機械やその他の設備・文献などもほとんど無い中、手探りの開発を続けた。
量産にあたり、勝治郎は徹底して「国産」にこだわり、特殊製造が極めて難しい包装紙の製造を国内製紙メーカーに発注。ほとんどの工場に断わられる中、勝治郎は熱意で説得し、包装紙の黒紙を作ってくれるメーカーを探しだし、黒紙のフィルム包装紙を創り上げた。つまり「菊フィルム」は、写真フィルムの国産包装紙製造の『はじまり』でもあった。
その後1929(昭和4)年に「さくらフィルム」が、1922(昭和11)年には「フジフィルム」が発売。国産フィルムは、「菊フィルム」に続き、いずれも『日本らしい』の独特の固有名詞からその名が付けられた。
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