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森下喜作もりしたきさく

誕生地 現:浜松市天竜区春野町堀之内
生年 1866(慶応2)年8月21日
没年 1958(昭和33)年3月23日
森下喜作とは

犬居村村長や天宮銀行常務取締役などを務め、政治家・実業家として地元に貢献。七等青色桐葉賞(くんしちとうせいしょくどうようしょう)を受賞している。
また、自己資金を投じた一草(ひとくさ)部落の開田や、発明家として折りたたみ式傘の考案なども行っている。

 

生涯

1866(慶応2)年、周智郡犬居村堀之内字一草(現:天竜区春野町堀之内)の森下家長男として生まれる。
1884(明治17)年、19歳の時に学問を志そうと単身上京を決意し、歩いて森を通り掛川へと向かった。しかし、無断で家を出たため、東海道を東に進み安倍川に到着したところで叔父に見つかり、連れ戻されてしまっている。上京は叶わなかったが、向学心が捨てられず、その後もひとり勉学に励んだ。
そうした努力により、1889(明治22)年、24歳の若さで犬居村収入役に就任し、翌年からは助役を5年6ヶ月間務めている。
また、当時、庶民の主食は粟(あわ)や稗(ひえ)がほとんどであり、米を食べるためには水田を開くしかなかった。そこで、喜作は1885(明治18)年に一草部落の開田を決意、自己資金を工事費にあてた。1894(明治27)年冬に工事は着手され、1896(明治29)年には1haあまりの水田が完成、その年の秋、多量の米が収穫されている。
1896(明治29)年、森町外三カ村組合会議員となる。
1898(明治31)年、北遠唯一の金融機関であった天宮銀行犬居支店の支店長に、そして1903(明治36)年に常務取締役に就任。また、同年11月には犬居村村長となった。
そして1906(明治39)年、その功を高く評価され、勲七等青色桐葉賞を受けている。
また、同年、折りたたみ式傘を考案し、専売特許を申請。東京で製造を始めるが事業は思うようにいかず、失敗に終わっている。
1907(明治40)年に再び犬居村村長となると、村の90%以上を占める山林育成のために金原明善より教えを受けたり、犬居地区でも二毛作ができるように耕地整理を行ったりしている。また、小学校を充実させるため、学校林を設けてその育成を行い、学校基本財産の蓄積を図った。
そうした犬居村における地方改良運動は県内の模範とされ、1909(明治42)年には県知事より表彰を受けている。
1910(明治43)年、荒れつつあった犬居城址の保護のため、寄付を集めて史跡を買い上げ、記念碑を建てる計画を立てているが、避病舎建築のために取りやめになっている。その後、晩年になって再び史跡の保存に力を入れ、貴重な先人の遺構を後世へと受け継いだ。
1958(昭和33)年に93歳で他界している。

※避病舎(ひびょうしゃ)/伝染病患者を隔離・収容するための施設

 

参考

『郷土の発展につくした人々』(静岡県教育委員会)
『静岡県歴史人物事典』(静岡新聞社)

 

 

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