松平信祝15 まつだいらのぶとき
生年 | 1683(天和3)年 |
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没年 | 1744(延享元)年 |
任期 | 1729(享保14)年~1744(延享元)年 |
松平信祝とは
松平家は徳川家と関係が深く、信祝も少年時代に綱吉にお目通りが許されている。また、吉宗からも信頼されており、吉宗の側近として幕政を動かした。
浜松在城中の1735(享保20)年には浜松城下に目安箱を設置している。
文化人としても優れており、浜名湖周辺の古刹や城跡、系図などの調査を行なった。そして、第14代浜松城主松平資訓に続き、後の遠州国学の土壌を築いている。
生涯
1683(天和3)年に生まれる。父は松平信輝、母は井上中務少輔正任の娘。
1693(元禄6)年、11歳の時に綱吉に拝謁している。
1709(宝永6)年に父信輝の隠居によって家督を継ぎ、伊豆守となった。
1712(正徳2)年に下総国古河(現:茨城県古河市)から三河国吉田(現:愛知県豊橋市)へ転封となっている。
その後、1714(正徳4)年には奏者番となった。
1729(享保14)年に堀田伊豆守正虎の急死に伴い大坂城代となる。また、同年に浜松城主となって7万石を領有し、その後、老中となっている。
1744(延享元)年、62歳で他界。
関連項目
参考
『浜松城と歴代城主』(浜松市博物館)
『浜松市史二』
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