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池田百洲いけだひゃくしゅう

生年 不明
没年 1806(文化三)年
池田百洲とは

江戸時代後期の浜松藩御用商人の初代。通称池田庄三郎、名は勝彦といい、稲荷明神の神官も勤めていた。
俳諧を江戸の鳥酔に学び、鵞群堂と号した。1864(元治元)年頃から浜松を中心として開かれた国学研究会は池田百洲の別荘比礼廼舎(ひれのや)で行なわれた。
百洲は一面和歌もたしなみ、兄弟子竜庵百明と親しい。
1806(文化3)年5月14日に51歳で他界。定明寺に葬られている。

 

参考

『浜松の史跡 続編』(浜松史跡調査顕彰会)
『浜松歴史散歩』(静岡新聞社)

 

 

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