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栩木夷白とちぎいはく

誕生地 現:浜松市東区大瀬町
生年 1797(寛政9)年
没年 1868(明治元)年
栩木夷白とは

掛川宿の伊藤嵐牛と共に江戸後期における遠江の二大俳人といわれる。
多くの門人がおり、その中に松島十湖がいる。
年立庵、空瓢庵栩々斉、栩山人、狢川堂、震柳庵など夷白には別号が多く俳諧のほかに書画にも堪能。

 

生涯

1797(寛政9)年、長上郡下大瀬村(現:東区大瀬町)の栩木の里に生まれた。
幼少期より俳句を好み、長上郡薬師村(現:東区薬師町)の小枝来圃について学んだ。朝日園夷白と号し、師来圃の他界後には江戸の雪中庵対山に入門、更に三河の鶴田卓池について学ぶ。
1868(明治元)年9月12日、72歳で他界し清岩寺に葬られた。清岩寺の境内には「余ほど来たやうでもあさし花の中」の句碑がある。

 

主な著書

古俳人の句を集めた『発句太根帒』5巻や、門人松島十湖編になる『夷白発句集』がある。

 

参考

『浜松の史跡』(浜松史跡調査顕彰会)
『浜松歴史散歩』(静岡新聞社)

 

 

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