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浜松宿はままつじゅく

浜松宿とは

近世の政治の中心である江戸と京都・大阪を結ぶ大動脈だった東海道に沿って、五十三次の一宿場町として栄えた浜松宿は、江戸から数えて29番目、京から数えて25番目にあたる。距離的に江戸と京都の中間に位置し、浜松藩の城下町として天保年間(1830(天保1)~1843(天保1)年頃)には本陣が6軒、旅籠が94軒もあったとされる。

 

東海道の馬込川橋を渡り浜松宿にはいったところが新町で、板屋町、田町、神明町とつづく。神明町は坂町をのぼりきると浜松城の大手門前へ出る。ここで今まで西進してきた道は直角に左折し、連尺町、伝馬町、旅籠町、塩町、成子坂町と続き、ここで右折して七軒町となる。

通行人を監視する番所は三か所、馬込橋に東番所、成子坂に西番所、伝馬町に中番所があり、高札場は連尺町にあった。問屋町は伝馬町中番所あたりにあり、伝馬町を中心とした地域に交通業者が多く、にぎやかな街通りだった。

 

1637(寛永14)年に助郷制度が定まり、浜松宿では伊場村、東鴨江村、西若林村、東若林村、佐藤村が指定された。

 

評価

1659(万治2)年の道中記に東海道の各宿場の評価が記されているが、浜松宿は三段階の最高に評価され、1689(元禄2)年の井原西鶴の記録に「町筋長く繁盛の宿なり」と記され、太田南畝(おおたなんぼ)著の『改元紀行』には1801(享和1)年の浜松宿の様子が克明に記され、広重の記録では1830(天保元)年に宿泊した際「浜松御城下町にてまことに繁盛の所なり」と記されている。

 

絵図

 

 

 

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