山葉寅楠やまはとらくす
誕生地 | 和歌山藩 |
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生年 | 1851(嘉永4)年4月20日 |
没年 | 1916(大正5)年 |
山葉寅楠とは
山葉寅楠は、ヤマハ株式会社創業者。
生涯
1851(嘉永4)年紀州藩士、孝之助の三男坊として誕生。
父・孝之助は天文係として天文暦数だけでなく、土地測量や土木工事設計も行う聡明な人物。
寅楠は幼い頃より手先が器用だけでなく剣道も上手。
幕府崩壊により貧しい暮らしとなり21歳で大阪に出る。
そこで懐中時計を見て興味を持ち、長崎まで歩いて行き、2年ほど時計構造の研究をする。
再び大阪に戻り西洋式医療器械を扱う河内屋に住み込み、2~3年で立派な修理工に成長。
当時浜松五社神社前に浜松病院があり福島豊策院長が河内屋医療器械店に修理を依頼。
派遣されたのが寅楠32歳だった。
寅楠は板屋町にある宿、清水屋の六畳間を借りて住み、浜松病院に通った。
当時設立された公立小学校が唱歌科設立とともに風琴(オルガン)を購入。
現在の元城小学校から「オルガンが鳴らなくなった」と寅楠36歳が修理をたのまれた。修理をしながらすべての部品を図面に書き、自分でオルガンを作り上げた。
試作に協力したのが池町小松屋主人の河合喜三郎。寅楠が無一文だったため用具や材料費用は喜三郎が借金をして賄った。
その他、浜松病院院長の福島豊策や学務委員の樋口林次郎なども援助。2ヶ月ほどでオルガン一台(39鍵)が完成した。
音は肴町の魚屋の尾島弥吉が趣味の三味線弾きを見込まれて相談にのっていた。
造ったオルガンを、静岡経由、東京音楽学校(現東京藝術大学)の伊沢修二校長にみてもらうため、天秤棒で担いで東京へ出向いた。しかし調律ができておらず不合格。
調律法を学んだ寅楠は再びチャレンジし優れた性能のオルガンを造り上げた。
オルガンが評判となり注文が急増。喜三郎がよく知る竹本健二郎ら大工3人も加わった。作業所が手狭となり、成子町の坂の上にあった菩提寺の庫裏へ。
几帳面な寅楠は10人の従業員に朝、昼、夕方と時間通りに仕事をさせ、昼の休憩時間には剣術を稽古させた。1年ほどして八幡地(現在の旭町)へ移転(従業員50~60人)。
1887(明治22)年合資会社山葉風琴製造所設立
1888(明治23)年板屋町法恩寺裏に移転(従業員100人以上)して約30年間拠点にした。この年、第三回内国勧業博覧会にオルガンを出品して受賞。
1889(明治24)年株主総会で会社解散に追い込まれる。これは大阪の株主の一人が自分でもオルガン製造工場を始めたものの山葉の成績がよく、潰しにかかった。仕方なく再び喜三郎と2人になりながらも山葉オルガンの評価は高まっていった。
ピアノ造りに取り組み1897(明治30)年には日本楽器製造を設立。
1899(明治32)年文部省の使節としてアメリカ視察。5ヶ月間かけて100箇所ものピアノ工場などをまわり、ピアノ作りの技術、知識、設備を学び、加工機械を手に入れ帰国。
1900(明治33)年国産第一号ピアノ完成。
1904(明治37)年セントルイスで開催された万国大博覧会にオルガンとピアノを出品し初受賞。
1907(明治40)年日本楽器製造はピアノとオルガン生産日本一。このころから寅楠は優秀な技術者を育てる見習生制度をスタートさせ多くの優秀な技術者を誕生させる。
1911(明治44)年浜松市市会議員となり浜松市初代副議長就任。
1916(大正5)年8月8日64歳で死去。その2ヶ月後、河合喜三郎も逝去。
人となり
数年で一大工場の経営者となったが、高ぶらず、一人ひとりの職工を愛し、病気をした者がいると毎日のように見舞い、治療費を加えて給料を渡すほど。
「私は品物を販売するのに駆け引きはせぬ。生産費を控除して値段を定め、決して暴利を取らない」
「品質に対しては、絶対に責任を負うこと。責任あるものを出せば自ら信用が集まってくる」
情に熱く、恩を忘れぬ純情な人で喜三郎から受けた恩を決して忘れなかった。
「製造所の財産は私が死んだらみんなあなたのものにしてください」と伝え、資金的に余裕ができるとまず第一に喜三郎の住居を新築させた。また長男を子供の無い喜三郎へ養子に出した。
「大黒様をよく拝んで負けないように働くこと。大黒様を見習って、いつも小槌を振り上げて、おろしたときには何かの仕事をするという心でやっている。」
几帳面で厳格。家族と笑いあったりすることは少なかった。どんな親しい人と話していても、ひざをくずしたりすることはなかった。
参考・見学
書籍
遠州偉人伝第一巻
浜松産業史
日本のピアノ100年・ピアノづくりに賭けた人々
ヤマハ100年史
社史 日本楽器製造株式会社
施設
浜松といえば
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