柳本診療院やなぎもとしんりょうじょ
郵便番号 | 431-0201 |
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所在地 | 浜松市西区篠原町11123 |
柳本診療院とは
浜名郡篠原村(現:浜松市西区篠原町)を通る旧東海道(県道316号)の南側に建つ。
この診療院を開業した柳本満之助はもともと豊橋出身で、豊橋病院へ勤めていた。1904(明治37)年~1905(明治38)年の日露戦争で軍医として従軍した後、1906(明治39)年、妻の実家近くであり、当時開業医の少なかった篠原村で開業した。
柳本満之助は柳本城西という名で歌人としても知られている。
現在も残るこの建物は1927(昭和2)年に建てられた。1944(昭和19)年に起きた東南海地震で篠原村は村内810戸中全壊31戸、半壊55戸という被害を受けたが、柳本診療院では壁に亀裂が入る程度で済んだ。
建物の特徴
1927(昭和2)年に建てられた木造2階建ての診療院には主に天龍木材が使用されている。桟瓦※葺きに寄棟造※、鬼瓦には通常防火の意味で「水」と刻まれることが多いが、この建物の鬼瓦には「Mizu」や「Water」の文字が刻まれている。
診療院の施設は1階部分のみで、正門から入った正面に玄関がある。玄関を入ると待合室があり、待合室に面して北側には薬局・受付・X線室が並ぶ。待合室の南側には診療室があり、さらにその奥に外科室が設けられている。診療室からは東側にある居宅へと通じる廊下が庭に面して伸びている。
天井は満之助が低い天井を嫌ったため、天井を高くしたといわれる。しかし、天井があまりに高く暖房効率も悪かったため、新しく天井を造り、それによって天井付近に施されていた漆喰のレリーフも隠されてしまった。
※桟瓦(さんかわら)/断面が波形をした瓦
寄棟造/四方向へと広がる形状の屋根をもつ建物
参考
『昔に出会う景観紀行』(浜松観光コンベンションビューロー)
『静岡県の近代化遺産』(静岡県教育委員会文化課)
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