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浜松の相撲はままつのすもう

相撲競技のはじまり

相撲は古くから宮相撲や草相撲として力人(ちからびと)たちが技を競い、神前で披露し奉納するために各地で行われており、また、武芸のひとつとして武士たちも行っていた。明治維新を経てルールが定められ、次第にスポーツ化されていった。
浜松でも数々の相撲選手がおり、大正時代には大相撲十両出身の明石潟をはじめ、染の森や明治潟らが活躍していたが、県内では主に中東部の選手らの活躍が目立った。そんな中、戦前に活躍した神久呂村大久保(現:西区大久保町)出身の天竜三郎(本名:和久田三郎)は大相撲で関脇まで上っている。

 

浜松勢の活躍

1975(昭和50)年に浜松相撲連盟が発足されているが、浜松地域の学校には相撲部がなく、アマチュア経験者も少なかったため、発足当時は数名の部員による稽古が行われていた。
1978(昭和53)年には八幡宮奉納相撲大会が始まり、幼稚園児から一般まで総勢200余名が参加。その後、1980(昭和55)年に第1回テレビ静岡杯ちびっこ相撲大会が小学校4~6年生を対象に開かれたのを機に小学生向けの相撲教室が開かれるようになり、駿府公園特設相撲場で開催された県大会では杉森亮太(小学4年)と大島健司(小学6年)が学年別個人戦で見事優勝すると浜松でも次第に相撲熱が高まっていった。
一般でも浜松勢が県大会で団体優勝を成し遂げるほどに成長したが、三島や富士宮をはじめとする県東部地区では高校や大学での経験者をそろえて層を厚くしたため、その後、浜松勢が入賞できない年が続いた。
1981(昭和56)年には中田島海浜公園内に常設相撲場が建設されると、土俵開きを兼ねて東海四県大会が開催されている。
その後も小学生らの活躍は目覚ましく、1987(昭和62)年と1988(昭和63)年のわんぱく相撲全国大会では姫野充雄が小学4年、5年と連続で優勝を果たしている。また、一般でも1987(昭和62)年の県スポーツ祭で浜松勢が団体優勝を果たし、団体にも出場していた斉藤憲次は個人で3位となるなど好成績を残している。
杉田喜章は1991(平成3)年の小学校4年の時より3年連続でわんぱく相撲全国大会に出場しており、中学生時代にも全国都道府県中学生相撲選手権大会団体戦優勝や全国中学校相撲選手権大会個人戦優勝など好成績を残している。近畿大附属高校進学後も国体優勝など成績を残し、大学卒業後は大相撲力士として活躍するが、2009(平成21)年に引退している。

 

磐田若宮八幡宮の奉納相撲

現在でも奉納相撲が行われている場所は数多くあるが、磐田若宮八幡宮の奉納相撲は天竜川の水争いとして古い歴史を持っている。
天竜川を挟んで東西に分かれ、翌年の田植え時に優先して田んぼに水を引く権利をかけて勝負する。農民たちにとって勝敗が生活に大きく関わるため、選手はもちろん観客たちも力が入り、「郷社(ごうしゃ)の喧嘩相撲」とも呼ばれていた。
治水が進んだ現在ではこうした風習は影を潜め、選手たちの交流の場となっている。

 

関連項目

浜松市体育協会

 

参考

『静岡県体育史』(静岡県体育協会)
『静岡県体育史』1988~1997(静岡県体育協会)
『静岡県体育史』1998~2007(静岡県体育協会)
『浜松市体育協会史』(浜松市体育協会)
『静岡県昭和人物誌』(静岡新聞社)

 

 

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