浜松の自転車競技はままつのじてんしゃきょうぎ
浜松での自転車競技
大正時代には既に浜松市内の各地区にある学校のグラウンドや伊場グラウンドで自転車競技大会が開催されており、レースは5,000m・10,000mといった中長距離が主体であった。また、会場が平面のグラウンドであったため、コーナーで落車や転倒などという場面も多く見られた。県内では特に富士地区の選手が箱根街道の坂道を使用した練習の成果もあり、活躍をみせている。
競技自転車は国産だけでなく、当時はまだ高価であった欧米産の車体も使用され、大会には芸者が見物に来ることも多く、自転車競技は当時の花形スポーツの1つでもあった。太平洋戦争中にはタイヤの入手が困難となり、ノーパンクタイヤなどの出現に至っている。
1954(昭和29)年の日本選手権大会では浜松出身の稲垣豊が1,000mトライアルで優勝。1957(昭和32)年に開かれた国体では興誠商業(現:浜松学院高校)の新井奉作が4,000m速度競走で4位に入賞し、自転車競技において静岡県勢は優勝を成し遂げている。しかし、静岡県内では主に中東部の選手の活躍が目立ち、浜松勢は遅れをとっている。
その後、1988(昭和63)年のソウルオリンピックには浜松出身の小倉輝美が女子82km個人ロードレースに出場。2003(平成15)年のNEW!!わかふじ国体ではロードレースが遠州灘海浜公園を発着点として行われた。
関連項目
参考
『静岡県体育史』(静岡県体育協会)
『静岡県体育史』1988~1997(静岡県体育協会)
『静岡県体育史』1998~2007(静岡県体育協会)
『浜松市体育協会史』(浜松市体育協会)
『静岡県昭和人物誌』(静岡新聞社)
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