浜松の登山はままつのとざん
浜松の登山
戦後まもない食糧事情も悪いなか、登山愛好者たちによって個人的な登山活動が行われており、登山装備品の共同購入や情報交換のために職場やスポーツ店を拠点とした山岳会が結成されるようになった。
その後、1956(昭和31)年に日本の登山隊がネパールにある標高8,156mのマナスルに初登頂したことや、井上靖の山岳小説『氷壁』が朝日新聞に掲載されたことなどにより、全国的な登山ブームが起きた。
登山ブームによって山岳遭難事故が多発し、個々の山岳会での対応が難しくなると、1960(昭和35)年に浜松山岳協会が設立され、各山岳会が加盟した。これにより、山岳遭難救助訓練や市スポーツ祭の山岳競技が行なわれるようになった。
1971(昭和46)年には佐久間町出身の中地稔らが標高7,000mを越えるヒンズークシュ山脈のサラグラール(アフガニスタン)の登頂に成功。また、古田徹司らもカラコルム山脈のバインダーブラックを制している。
その後、登山ブームの衰退と共にスポーツ祭山岳競技の参加者も減少し、一時は実施も危ぶまれるほどであったが、深田久弥の紀行文学『日本百名山』にちなむ「百名山ブーム」によって1985(昭和60)年頃より中高年登山者が爆発的に増加。再び山岳遭難が多発しており、安全な登山の普及が課題となっている。
2003(平成15)年のNEW!!わかふじ国体では水窪町(現:天竜区水窪町)を会場として山岳競技会が開催された。
関連項目
参考
『静岡県体育史』(静岡県体育協会)
『静岡県体育史』1988~1997(静岡県体育協会)
『静岡県体育史』1998~2007(静岡県体育協会)
『浜松市体育協会史』(浜松市体育協会)
『静岡県昭和人物誌』(静岡新聞社)
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