浜松のテニス(硬式)はままつのてにす(こうしき)
テニス(硬式)の普及
1920(大正9)年、海外で活躍する日本人選手に影響され、大学や高専ではそれまでの軟式テニス(ソフトテニス)から硬式テニスへと転向していき、浜松高等工業学校(現:静岡大学工学部)でも1923(大正12)年に正式にテニス部が設けられた。そして、昭和初年にはわずかであった硬式テニス人口も学校でテニス部が設けられたことにより、徐々に増加していった。
1935(昭和10)年には県硬式庭球選手権大会が初めて開催されたが太平洋戦争中は中絶。その後、1950(昭和25)年に日本庭球協会公認トーナメントとして復活しており、静岡県のテニスは急速に進歩していった。特に1957(昭和32)年に開かれた国体によって硬式テニスは広く一般にも知られるようになった。
浜松地方においても1955(昭和30)年前後より硬式テニスが普及しはじめた。1962(昭和37)年にはソフトテニス全国優勝経験のある浜松北高で硬式テニスが採用され、その後、浜松市立や浜松商業でも硬式テニスへの転向がなされていった。そして、高校選手たちが全国大会で活躍するようになると、テニスに関する理解と関心が高められ、1964(昭和39)年には第1回遠州庭球選手権大会が開かれている。また、1970(昭和45)年の国体では浜松工業高校の太田正孝らの活躍により、静岡県が高校男子の部で優勝した。
昭和50年代(1975~1984)に入るとテニスは急激に大衆化し、各地に民間テニスクラブが設立され、ジュニアの活躍も目立つようになっていった。
浜松で開催された全国的な大会
テニスが一般にも広まり競技人口が増加していくと、浜松でも全国的な大会が開催されるようになっていった。
1971(昭和46)年に全国ジュニア選手の登竜門であった原田杯が、1975(昭和50)年には各地域代表の大学による大学王座決定戦が浜松市鹿谷テニスコートで開催された。1996(平成8)年~1998(平成10)年にはJTA(日本テニス協会)海外派遣ジュニアテニス選手権大会が浜松で行われている。
2003(平成15)年に開催されたNEW!!わかふじ国体では10月26日~29日の4日間に渡り、花川運動公園テニスコートでテニス競技が行われた。静岡県チームの成績は成年女子優勝、少年女子準優勝、成年男子と少年男子が共に7位という結果を収めている。
関連項目
参考
『静岡県体育史』(静岡県体育協会)
『静岡県体育史』1988~1997(静岡県体育協会)
『静岡県体育史』1998~2007(静岡県体育協会)
『浜松市体育協会史』(浜松市体育協会)
『静岡県昭和人物誌』(静岡新聞社)
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