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横田保よこたたもつ

誕生地 現:浜松市浜北区内野
生年 1831(天保2)年
没年 1901(明治34)年
横田保とは

大谷近藤家の用人を務めた後、明治維新後は三方原開拓に尽力し、気賀林(きがりん)らとともに百里園(ひゃくりえん)を創設している。林の死後は百里園の園長としてさらなる発展を目指し、取り組んだ。
なお、気賀林とは姻戚関係にある。

 

生涯

1831(天保2)年、長上郡内野村(現:浜北区内野)の豪農横田保兵衛の次男として生まれる。幼名を啓治、家を継ぐと三代目保兵衛を襲名し、隠居後は保と改名した。
1845(弘化2)年、14歳の時に大阪に出て後藤松陰(ごとうしょういん)の下で学問を、1848(嘉永元)年には江戸で武術を学び、その後、三ヶ日大谷の旗本近藤力之助の用人を務めた。
明治維新後は内野村へと戻り、気賀林らとともに三方原台地の開拓を進め、1871(明治4)年には茶園12町歩(12ha)、桑畑3町歩(3ha)を開く。
その後、製糸所の設立を行ったり、落花生や油菜などの栽培を奨励したりしている。また、三方原台地のさらなる発展のため、三方原台地から姫街道へと通じる幅4間(約7m)、長さ2里16町(約9.6km)の道路を開いた。
1873(明治6)年からは茶園「百里園」の創設に尽力し、1883(明治16)年に百里園初代園長の気賀林が死去すると、その跡を継いで二代目園長となった。また、この間に資産金貸付所(後の資産銀行)や第二十八国立銀行の設立・運営にも参与している。
その後、百里園発展のために化学肥料試験所を設けて肥料の研究を行ったり、緑茶のほかに紅茶の製造にも取り組んだりしている。
1901(明治34)年に70歳で他界。

 

参考

『郷土の発展につくした人々』(静岡県教育委員会)
『静岡県歴史人物事典』(静岡新聞社)

 

 

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