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二俣医院ふたまたいいん

郵便番号 431-3314
所在地 浜松市天竜区二俣町二俣1259
二俣医院とは

二俣医院を開業した齋藤達の先代齋藤篤道はここから北へ3kmほど離れた船明に順誠堂齋藤医院を開業していた。齋藤達は大学卒業後、数年間地方に赴任した後、二俣に戻って開業している。
二俣医院の建てられた敷地は、もともと二俣村(現:天竜区二俣町二俣)の名主袴田喜長(はかまたよしなが)の屋敷であった。
レントゲン(1895(明治28)年発明)の導入も早く、二俣医院では大正の終わりごろにはあったとされる。

 

建物の特徴

1916(大正5)年に建てられた木造2階建てで、基礎が煉瓦積みの診療院。桟瓦※葺きに寄棟造※、外壁は杉の横板が下から順に少しずつ重ねながら張られ、一部が漆喰塗りとなっている。柱や梁はデザイン的に扱われており、外壁の塗装が何度も塗り重ねられた跡が見られる。
西側にある玄関を入ると中央には廊下が伸び、その両側に部屋が並ぶ。玄関のすぐ北側にある薬局は、当初、東京大学医学部の薬局を模して造られていたが、現在は改修されて姿が変わってしまっている。2階は廊下の両側に畳敷きの病室が全9室並び、動けない患者は担架に乗せて2階へと運んでいた。当時、畳の上に布団を敷いて寝るのが一般的であったため、患者が落ち着けるよう畳敷きの病室を設けたが、やがて、畳の上にベッドが置かれるようになった。
本館の隣には板の間にベッドが置かれた第二病舎が建ち、多い時には二俣医院内に50床を超えるベッドがあった。しかし、第二病舎は戦後に解体され、跡地に土蔵の蔵屋敷が移築されている。

※桟瓦(さんかわら)/断面が波形をした瓦
寄棟造(よせむねづくり)/四方向へと広がる形状の屋根をもつ建物

 

参考

『昔に出会う景観紀行』(浜松観光コンベンションビューロー)
『静岡県の近代化遺産』(静岡県教育委員会文化課)

 

 

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