水野忠精23 みずのただきよ
生年 | 1832(天保3)年 |
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没年 | 1884(明治17)年 |
任期 | 1845(弘化2)年~1845(弘化2)年 |
水野忠精とは
第22代浜松城主水野忠邦の長男として生まれ、父の隠居後、家督を継いで浜松城主となっている。しかし、父の失脚に伴い出羽国山形(現:山形県山形市)へと転封されており、在任期間はわずか3ヵ月。
生涯
1832(天保3)年に生まれた。父は水野忠邦、母は篠塚氏。
1845(弘化2)年に父の跡を継いで浜松城主となり、7万石を領有したが、同年に出羽国山形へ転封された。
その後、奏者番となり、1858(安政5)年に寺社奉行、1860(万延元)年に若年寄、そして1862(文久2)年には老中・侍従・勝手掛等を兼任している。
1866(慶応2)年には病気を理由に辞職し、家督を長男へと譲った。
1884(明治17)年、52歳で他界している。
関連項目
参考
『浜松城と歴代城主』(浜松市博物館)
『浜松市史二』
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